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中3の6月に大切なこと

estelkyoiku@gmail.com 2019年06月11日 カテゴリー: 未分類

前回の予告で「いい学校」について書きますと言いましたが、先にこれを書いておかないといけないので変更します。

 

 

私にとって中3の6月ほど「やっかいだな」と思う月はありません。なぜなら勉強に集中することができないのに、受験上1年で最も大切な月だからです。

 

よく夏休みは「受験の天王山」とか「夏を制するものは…」とか言われますが、それは大学受験や私立専願など内申を必要としない受験の話です。また追い込み時期である冬休みや1月2月が重要だとも言われます。それは間違っていませんが、ただそれも受験校合格に対しての話です。

 

そうではなく、競争率がそれほど高くない公立志望の中学3年生にとって最も重要なことは「どこの学校を受験するか」です。そしてその場合、1学期の成績が出た時点でほぼ決まってしまいます。

 

ご存知の通り、公立高校の普通科のほとんどは満点の約3分の1(35%)が内申点です。特色はばらつきがありますが普通科より内申のウエイトは高いですし、法隆寺国際高校などは52%が内申です。そして内申の3分の2が1学期終了時点で確定します。

 

そしてここからが大事なのですが、2学期は内申も実力点の順位もそれほど変わりません。少しくらいは良くなったりしますが受験校が変わるほど伸びる子は一部の子に限られます。これはうちの塾が実力が無いからではなく、理屈で考えて頂きたいのですが、夏以降全員が勉強をします。つまり全員が伸びるなか、成績を上げるには周りよりも伸びない限り順位は変わらないのです。順位が上がるということは誰かが下がっているわけで、当然その子も勉強しています。つまり全員が順位が上がるわけでもないのに妙に夏休みや2学期に期待しているのです。それよりも1学期の内申や順位の方が上げやすく、かつそれを2学期はキープすればよいだけなので楽だということに気づいている人は少ないと思います。

 

したがって、公立高校に行きたい人の多くは次の期末テストで自分の行く高校はほぼ決まり、後はその高校に合格するための努力をすることになる、ということを知っておくべきです。

 

 

そしてやっかいな話なのが、この時期の運動部は大会があり、クラブに力を入れる時期でもあります。

 

最上級生になったことや引退が近づくため当然運動部の子はクラブに力を入れます。そして受験はまだ先という空気が強いです。そのため勉強する子はするのですが、多くの子が勉強をするのに一番重要な時期だと気づかずにこの6月を過ごします。

 

学校がなんと伝えているのかわかりませんが、もし1学期終了時点で志望校がその子の実力よりも上である子に対して「クラブを引退したら(あるいは運動部でない子に対しても夏休みになったら)受験勉強を頑張ろう」と言っているのであればそれは無責任が過ぎると思います。

 

私が教える中学校は週末(木金)に行った中間テストの翌週が期末テストの3週間前になります。この短い期間をどこまで危機感を持って過ごすかが勝負の分かれ道になります。

 

 

念のために正直に申し上げると、うちの塾では1学期終了時点で志望校が実力以下であった子(成績が上らない限り合格できない子)がその高校に合格できた人数は30人中10人、志望校ではなかったが実力以上の高校に合格できた子が5人、実力相応校に合格した子が15人でした。

 

つまり2人に1人が夏休み以降成績が上がり、2人に1人は変わらなかった(ただし下がってはいない)のですが、この結果がいいのか悪いのか。私は悪くはないと思います。全ての塾がこれと同じ、あるいはこれより良い結果になることは理論上ありえないと思います。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

日本人は「和」と「個」のどちらが大切か ~『黒い羊』から考える~

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月31日 カテゴリー: 未分類

前々回「和」と「個」の話が出ましたが、今はまっている曲がそれとすごくリンクするので教育の話と関係ないのですが、書いてみようと思います。なお「どちらが大切か」と書いていますが、結論めいたものはありません。あしからずご了承下さい。

 

タイトルにもあるように欅坂46の『黒い羊』にはまっていて毎日聞いています。ご存知でない方のために、歌詞を一部だけ載せます。

詩を読んだ時、私は「昭和かよ」と思いました。昭和の次の次の時代になり、平成の間に人権意識や個性の尊重が声高に言われていたにもかかわらず、結局未だに「自己主張」や「他者と違うこと」は許されないみたいです。

 

もちろんこれは秋元康さんがセンセーショナルな歌を作り注目されたかった思惑もあるかもしれませんが、明らかに時代錯誤であればこのような詞は書かないと思います。そういう現実がまだ残されているということです。実際、NGT48の山口真帆さんは自らの境遇を訴えるのに卒業公演でこの曲を選んだでしょうから。

 

ここで描かれている「黒い羊(厄介者)」は「協調性」を重んじる日本人の「和」を乱す人物であり、「白い羊」は日本人の「排他性」「長いものに巻かれろ」「事なかれ主義」的な負の側面を表しています。(MVのパフォーマンスを見れば違うような気もしますが、歌詞だけを読めばそう理解しました。ですからそれで話を進めます。)

 

「黒い羊」を認めるか認めないか、あるいはどこまで認めるか、「黒い羊」だらけになったらどうするんだ、とか様々な考えが生まれますが、そんなことを言っている時点で「日本人(白い羊)だ」ということになります。「黒い羊」は認めるものではなく「理解する」ものであり、また全員が違う色であり、あるいは全員が「黒い羊」だと認識することが正しい考え方だと思います。それが「個」の考え方です。

 

しかし日本人は誕生以来数千年、特に田を耕すようになってから協調性を重んじ、以来それを守り続けてきました。その結果、先程のような負の側面も生まれましたが、例えばサッカーのワールドカップの試合終了後、サポーターが観客席の後片付けをする行為や、大地震など大災害が起きても犯罪が起きない(ここの書き方は微妙になりますが)、財布を落としても中身がなくならずに返ってくるなど、世界から賞賛され、また誇りに持つべき側面もあるのです。それが日本人の「和」の心です。

 

皮肉かどうかわかりませんが、時代が「個」を目指そうとしている時に、新しい時代は「令和」になりました。そしてこの年号に異を唱える人はほとんど耳にしません。つまり日本人は今でも「和」が好きなんだと思います。

 

「和」と「個」は対極にある概念で、両者の良いところを取り入れることはなかなか難しい話だと思います。これから先、どういう方向に進むかわかりませんし、それは国全体で考えていくことですが、令和の次の時代になっても「黒い羊」は変わらず叫び続けている気がします。

 

次回からは「本当にいい学校」について考えていきます。

 

次のテーマに行く前にこの文章の反響を確認したいことと、次回の内容がかなり過激であるためしばらく更新を止めようと思います。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

英語教育重視の国の愚策④ ~英語より身につけないといけないもの~

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月30日 カテゴリー: 未分類

今回の学習指導要領の英語改定の3つ目の問題点「他にすることはないのか」についてです。

 

学力の低い子の多くは国語が苦手です。テストの点数ではなく、根本的な「日本語力」のことです。彼らは語彙力が圧倒的に少なく、読解力がありません。したがって、他の教科でも問題文が2行以上になると、条件を見落としたり何を聞いているのかがわからなくなったりします。

 

また、接続詞や助詞の使い方を理解していないので、文で答える記述問題が日本語として破綻しており、これは成績が普通くらいの子でも多く見られます。読解力や日本語力を養う国語を特に小学生の間は最優先で行うべきだと思います。

 

ところが小学校用の国語の問題集を見ていると、コツとか勘とかフィーリングで解ける問題が多く、つまり内容をあまり理解していなくても表面的に読めれば解ける問題が多いです。それで正解して「できた」と思っている子が多いように思えます。

 

国語は何を勉強したらよいかがわかりにくい教科なので、とりあえず読解問題が「正解」だったらそれでいいと考え、それ以上深めることは普通あまりしません。漢字もテストで書ければ一応覚えたと判断してよいですが、書けなかったものをそのまままにしている子は多いと思います。言葉の意味や文法などはもっとそうだと思います。

 

言葉を覚えることに興味が無かったり、正しい読解力を身につけなかった子の成績が(国語以外の教科も含め)良くならないのはある意味当然のことのように思えます。

 

また、豊かな感性や想像力が育つ古典や音楽や美術(国語自体もそうですが)、生活に直結する技術家庭は今の時間で十分でしょうか。私が中学生の時と比べると、中学3年間の学習時間は、どの教科も60~70時間(いずれも50分単位で)減っています。ちなみに今来ている中3のあるクラスでは『論語』が1時間で終わったそうです。

 

他にも、「%が理解できない大学生が多い」という記事を先日読みましたが、確かに中学生で成績の良い子でもよくわかっていない子もいます。私も、「物事を割合で考えられないと比較ができなくなり、生きていく上で困るから絶対できるようになりなさい。」と生徒に伝えています。

 

それに比べて、イヤホン付きマイクの通訳機(装着できるポケトークのようなもの)が進化し、世間に普及すれば英会話力は必要なくなります。私は日本人の大半が英語を話せる必要はないと思っています。英語が話せなくて日常生活が困る日本人は将来的にもそんなに多くなるような気がしないのです。

 

外国人観光客に対して英語ができないと困るのは商売をしている人だけでしょうし、外国人労働者は日本語を覚えてから来てもらえればいいだけのことです。外国と取引をする仕事の人は英語が使えないといけないでしょうが、それでも外国(国内の外国人ではありません)と関わらない仕事をする人の方が多数だと思います。移民は今後増えるでしょうし日本人は確実に減少していきますが、そう遠くない将来仕事自体が減りますので、日本人の仕事がなくなり、むしろ「移民はいらない」世の中になると思っています。

 

 

そもそもですが、学生時代はともかく、勉強というのは「必要にかられて」とか「したいから」するものであって、大人になって「英語ができないと困る」状況になった人は「生きていくために」勉強します。数学が大の苦手で、高校卒業後工場で働いていた人が現場責任者になり、「微分・積分」がわからないと仕事ができないことに気づき、微分・積分を勉強し直したという話を聞いたことがあります。

 

したがって、英語も「将来本気で勉強する時に困らない程度」を徹底的に叩き込ませる方がよく、全ての中学生に膨大な量を押しつけ、「ついていけない子は捨てる」ような考えをしている今回の改訂は明らかに間違えています。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

英語教育重視の国の愚策③ ~日本人が日本人でなくなる可能性~

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月29日 カテゴリー: 未分類

前回の話が長くなってしまったのでその補足から始めます。

 

英語が非公用語の国でも英語を使える国民は多いと言いますが、多くは「会話ができる」というだけで読み書きはできないという人は大勢います。

 

だから、「コミュニケーションを重視したいなら文法や単語の量は減らし、筆記試験も大幅に減らすべき」です。

 

そして、本当に英語が好きな子だけ中学校でも文法の選択授業をしたり、あるいは高校で外国語専門のコースへ進み、それを深めればよいと思います。もしくは英語だけでも中1から習熟度学習をすべきです。そうすれば「国民全体」の英語力は上がると思います。

 

 

さて今回の本題ですが、文科省が本当にわかっているのかと思うのが、そもそも日本人はコミュニケーションが苦手な国民だということ。英会話は自分から発信する力が必要なのに、島国の農耕民族でおとなしく謙虚さが美徳の日本人には向いていません。

 

なぜ、中国人や韓国人で英語が得意な人が多いのか、その一番の理由は教育ではなく、民族性の違いだと思います。

 

したがって、日本人に英会話力をつけさせたければ、ディベート力やプレゼン力を小学生から身につけさせておけばよいのです。そうすれば、中学校から英語を始めても少なくとも会話力の身につき方は飛躍的に伸びるかと思います。

 

ただ、これ以上小学生の負担を増やすことはできないですし、またそんなことをすると、世界からも賞賛されている「礼儀正しく、苦情を言わず、マナーが良い」日本人の良さが失われるのではないかと思ったりもします。自己主張が強くなると、ともすれば自己中心的な考え方に陥りやすくなる可能性を無視してはいけないと思います。

 

なんとなくの印象でしかないのですが、英語が得意な人は「和」より「個」が強く、苦手な人は「和」の方が強い人が多いような気がします(英語の得意な人がマナーが悪いと言っているのではありません)。子供もそうですが、特に大人で英語が得意な人にそれが見られるような気がします。

 

もちろん英語が得意な方からすると「そんなことはない」と反論されるでしょう。民族性とは関係なく、語学力に優れた方はいつの時代でもどんな場所でも一定数は存在するからです。今英語が得意な方を「日本人ではない」と言っているのではありません。日本人っぽくない人を英語が得意な人に見かけやすいということです。

 

話の結論ですが、私は「何時間勉強しようが国民全体の英語力は上がらない」あるいは国の目論見通り英語をマスターできる子が増えれば「日本人自体が変わってしまうのではないか」と考えています。

 

何回も言っていますが、私は学習量が増えることにより「ついていけない子」が増えることを一番恐れているので、いろいろ理屈をつけて今回の改訂に反対しているのです。

 

次回は3つ目の問題点「他にすることはないのか」についてです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

英語教育重視の国の愚策② ~英語嫌いは今以上に増える~

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月28日 カテゴリー: 未分類

前回の続きです。

 

社会人になって英語の必要性を感じた時、我々はどうするでしょう。

 

多くの方は英会話教室に行かれるのではないでしょうか。中学や高校の教科書を開き、1から勉強し直す方もおられるかもしれませんが、それらを両方される方はほとんどおられないかと思います。

 

筋トレで考えればわかりますが、全身の筋肉を万遍なく鍛えれば理想的ではありますが、中途半端になったりオーバーワークになったり膨大な時間を費やすことになったりします。ですので、ふつうは自分が鍛えたいと思ったところを重点的に強化します。

 

学校の英語も同じだと思います。あれもこれもやって本当に身につけられる子はごく一部で、結局英語が使えない日本人は将来もそれほど変わらないような気がします。

 

今の指導要領であっても、疑問文の答え方すらよくわかっていない中3生を何人も見てきました。英語の様々な能力を強化しようとしている今回の改訂で、原型不定詞や現在完了進行形が理解できる中学生は順調に英語が身についたわずかの生徒だけだと思います。

 

また、小学校の改訂では、英単語を600語ほど覚えさせたり、過去形や動名詞とかも教えるそうですが、格差は中1の時点でかなり拡がると思います。推測ですが、中学入学時で、まだアルファベットが満足に書けない子が一定数存在してくると思います。

 

高度に習得して中学生になる子が増え、またやらないといけないことも増加したなか、そのような子は中学校の先生もどうすることもできないと思います。すなわち、救いたい気持ちは先生にあるでしょうが、結果的に小学校で英語を身につけなかった生徒は中1の時点で捨てられることになります。

 

そこまで言い切れるのは、今でも英語の苦手な子に学校側が救いの手を出しているように見えないからです。だから中学入学時点で格差が拡がってしまうと、英語嫌いは今以上に増えると思います。

 

また、もし小学校が無理にでも習得させたとしたら、今度は他の教科がおろそかになり、国語や算数が恐ろしくできないまま中学生になる子が増えるような気もします。小学生を教えたこともあるのでわかりますが、勉強しない小学生は本当にしません。

 

親の中には「小学校は遊んだり色々な経験をすることの方が大事で、勉強は中学生になってからでいい」と考える方も少なからずおられるかと思います。それはすごく大切なことで、私も小学生を「勉強漬け」にすることは反対です。ただ、その「経験」が中学校での学習につなげられればいいのですが、残念ながら多くの場合そのようにはなりません。やはり小学生でも「最低限度の学力」は身につけておく必要があります。

 

まとめとしてもう一度言っておきますが、国の計画通りに行くと、英語の得意な人材は増えるかもしれませんが、英語嫌いも今以上に増えると思います。

 

次回は国民全体が英語をマスターするようになれば「日本人が日本人でなくなるかもしれない」という話です。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

英語教育重視の国の愚策① ~増えすぎた英語の学習~

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月27日 カテゴリー: 未分類

皆様ご存じのように、国際化の流れの中、国はとにかく日本人の英語力を上げようと躍起になっています。そのためこの度の指導要領の改訂で英語学習が小学3年生から、教科としての英語が小学5年生から行われるようになり、実際に行うかはともかく中学でオールイングリッシュをしようとかしています。

 

私は高校生の頃、「大学に入ってからの原書講読や英文での論文発表のために英語を学習しており、そのため読みと書きを重点的に学習するのだ」と聞いたことがあります。それがコミュニケーション重視の傾向に変わり、今では使える英語を身につけることが重要だとされています。

 

時代の変遷とともに目的が変わること自体はいいのですが、今回の英語の改訂で思うことは「増やしすぎ」ではないかということです。

 

以前書きましたとおり、今回の改訂では中学までの取扱い語彙数が1200から2400に倍増し、文法では感嘆文の復活に加え原型不定詞、現在完了進行形、仮定法が増えました。これらは「読み書きの内容も増える」ことを意味します。さらに、コミュニケーションとしての聞く・話す・発表するといった内容も強化されています。つまり総合的に英語の学習量は大幅に増えました。

 

私の世代の読み書きの内容や量は現行と同じくらいです。語彙も1200くらいでした。そして私の時は多すぎると言われ、後に大幅な削減(ゆとり教育)になりました。しかし今は「聞く・話す」があるので英語の学習総量は私の世代よりも増えています。それをまだ増やすと言っているのです。

 

ここで問題として提起したいこととがあります。それは「英語嫌いは今以上に増える」「日本人が日本人でなくなる可能性」「他にすることはないのか」の3つです。

 

次回以降その詳細をお伝えしようと思います。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

学力格差を小さくする方法③後半 ~先に「前半」から読んで下さい~

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月24日 カテゴリー: 未分類

前回の続きです。

 

本来は彼らの可能性の芽を探し、潰さないことが国や大人や学校の責任であるのにそれがなされているようには到底思えません。1つ例を挙げると、勉強が苦手だった元塾生が中3の12月頃、「小学生の時、父に天体観測に連れて行ってもらって宇宙に興味を持つようになった。」と話してくれました。

 

私はすぐさま、大学で宇宙の勉強ができる学校を探し、彼に伝えました。元々勉強が苦手なので、彼が大学に行けるかどうかはわかりませんが、それが彼の1つの目標となり、高校受験や高校での勉強への意欲に影響を与えたのは間違いありません。果たして学校はこのことを知っていたでしょうか。

 

また、折り紙の話の子のように、子供の個性を「勉強しないといけないから」とか「そんなこと何の役にも立たない」と否定したり認めなかったりすることがその子を不幸にし、ひいては国力を損ねることにもなるのです。全員が全員勉強が得意になる必要などないのです。

 

もちろん、子供の個性は他を圧倒するほど秀でている必要はありません。自分の長所を認識できればそれだけで生きていく自信になります。「何もできない」と自信を無くさせてしまうのが一番よくありません。

 

そのために国ができることは何かというと、「中学校の勉強だけがすべてではない」ということを子どもに理解させ、個性を伸ばすための受け皿を多く用意することだと思います。そのため高校の総特色化には大賛成なのです。

 

理想論ではありますが、できれば、高校は学力評価だけを求めるのではなく、その子の長所を明確な評価対象になるようして頂きたいです。

 

ただし、何をするにしても「学ぶ」という姿勢は必要で、「勉強しなくていい」というわけではありません。また、生きていく上での基礎学力も必要で、すべての中学生に最低限度の学力は身につけてほしいです。したがって、全員に高度な学力を要求するのではなく、勉強が苦手な子を切り捨てない方策が国には必要です。

 

次回は英語教育重視の弊害について書く予定です。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

学力格差を小さくする方法③前半 ~この回は多くの方に読んで頂きたいです~

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月23日 カテゴリー: 未分類

前回・前々回のまとめです。

 

私は、子供達への教育として本当に大切なことは、「彼らが将来社会に出て活躍ができる、生きていることを実感できるようにしてあげる」ことだと思います。その一番の方法が、「彼らの個性を見いだしそれを伸ばすこと」です。小学校ではそれができているのに、中学校になると急にその話が消えてしまいます。小学校で自由にのびのびと育った子ほど中学校とのギャップに違和感が生じます。

 

そうなってしまう1つの原因が、中学校での学習量の多さです。まず勉強についていかないといけないので、その時点で個性を伸ばすことから遠ざかってしまいますし、何より通知表や成績表といった形に残る評価はテストの結果と日常の努力の成果だけで、その子の個性を評価した跡は残されません。しかも通知表は総合評価になります。

 

つまり、ものすごく歌の上手な子でも楽器演奏が苦手だったり、テストの点が低ければ音楽の評価は5になりません。また、「やさしさ」とか「すぐ友達を作れる」とか評価のしにくいものがその子の才能であったりもします。うちの塾生で、暇さえあれば折り紙を折り、できた作品を友達に「おすそわけ」する子がいますが、折り紙がいくら得意でも、友達思いでも学校では何の評価もしてくれません。

 

勉強が苦手な子は、特に他の分野で圧倒的に秀でたものを持っていることがあります。だからその分勉強が苦手でもあるのです。しかし国や大人や学校は「勉強ができること」を求めてきます。国の考えは学習指導要領に表れていますし、大人は「○○高校に合格できたから優秀な子だ」と判断します。学校もそれらに異を唱えることなく、結局「勉強のできる子」を養成しているように思えます。

 

 

(1回の文章が長くなると読んで頂けなくなる恐れがあるため、途中ではありますがここで切らせて頂きます。続きは明日更新致します。)

学力格差を小さくする方法②

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月22日 カテゴリー: 未分類

前回の続きです。

 

国は国民全体の学力を上げようと今回の改定を行ったのだと思いますが、おそらくはそれについていける子だけが学力が上がり、結果として学力格差が拡がるのではないかと考えています。

 

その差を小さくするには下の層に確実な学力をつけさせる必要があります。

そのためには、

①中学入学前に学力テストを行い、英・数・国は中1から習熟度別学習を行う。

②クラブ活動を抑制し、放課後学習(補習)を充実させる。

③学習総量を減らし、「学力を伸ばしたい子」に補習を行う。

の、いずれかしかないと思います。

 

まず①です。習熟度別学習なんてかわいそう、と思うかもしれませんが、授業についていけず常に苦しい思いを続けさせる方がよっぽどかわいそうです。テストにしても難しい問題で20点しか取れないよりは簡単な問題で80点を取る方が喜びますし、学習の意欲にもつながります。

 

ただ、中学生になってから急に伸びる子もいます。ですから進級時に、下から上へ上がれるような授業内容の工夫や補習等の体制は必要だと思います。

 

また、「いじめが起きるかもしれない」と心配される方は、いじめの原因の根本を考えていただきたいです。親がまともであれば、子供に「(弱い子を)いじめよう」という発想は起きません。「いじめ」の根本にあるのは「親」であって教育システムではありません。

 

②のクラブに関しては、書きたいことが多すぎるので後日改めて書きますが、週2日は勉強がついていけない子のために補習をするべきだと思います。「クラブでくたくたになって勉強できない」状態にしているのであればそれは学校ではありません。

 

③ですが、私は「ゆとり教育」自体が間違っていたと思いません。あれの最大の問題点は「学力を伸ばせる子を伸ばせなかったこと」です。当時は学力を伸ばすには塾に頼るしかなく(それはそれでいいのですが…)、かつ学校側も何をしたらよいのかよくわからなかったために失敗したのです。ですが今回は「思考力等を伸ばす」という明確な目標があるのです。

 

学習総量を減らすことにより時間的余裕が生まれ、ついていけない子の数は減りますし、より多くの子の「思考力等」を伸ばすことも可能になります。そして「もっと学習したい」子用に、削った内容を補習で行えば、結果として全体的な学力を上げることができると思います。

 

次回は今回のテーマのまとめです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

学力格差を小さくする方法①

estelkyoiku@gmail.com 2019年05月21日 カテゴリー: 未分類

前回までの話で現中1から学力格差がさらに拡がると書きました。

 

今回の学習指導要領改訂で思うことは、「国は上の子の学力を上げることしか考えていない」、もっと言えば「勉強についていけない子は切り捨てようと考えているのではないか」ということです。そう思うのは、勉強についていけない子はおそらく今まで以上に出てくるでしょうが、彼らに対するフォローが見当たらないからです。

 

多くの学習内容を求めるということは、中学生はより「勉強をする」ことを求められ、それは今まで以上に「勉強ができないといけない」という風潮になりかねません。これは「個性を尊重する」今の社会の流れに明らかに逆行しています。

 

一方で、勉強ができずに自信を無くした子がどのような成長をするのか。昭和の時のように、社会問題でも発生しやしないか、と考えたりもします。もし仮にそのようなことが起これば誰が責任を取るのでしょうか。

 

高校総特色化になれば話は変わるかもしれません。しかし、「早急に」とは言われていますが、それまでの間の生徒は救われませんし、実施されたとしても中途半端な改革になるかもしれません。

 

ただ私は「勉強ができる子はどんどん学力を上げるべき」だと思っていますし、勉強が苦手な子も「勉強をしなくていい」とか「できなくていい」とかは思っていません。勉強が苦手な子も一定の学力をつけて社会に出て欲しいです。

 

そろそろ長くなってきたので続きは次回にします。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

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