「自学力」を育て「伸びしろ」を最大限に引き出します。

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震災から考える~私たちにできること~ <私の塾ではこんな授業をしました>

estelkyoiku@gmail.com 2021年03月12日 カテゴリー: 未分類

3月11日は東日本大震災が発生した日です。

特に今年は10年という節目の年です。

被災された方にとってはこれから先も毎年が節目であるかと思われますが、被災をしていない側にとっては少しずつ過去の出来事になっていくのではないかと思います。

そのため、私の塾では3月11日に震災について考えてもらうことにしました。なお、震災そのものは報道特番等で各自確認してもらうことにしました。

よろしければ、その時の授業や配布プリントを各リンク先からご覧下さい。もし中学生のお子様をお持ちの方であれば、ぜひお子様にもお見せ頂ければと思います。

特に見て頂きたいのは④です。

 

<授業の動画>

①平和はどのようにして作られるのか(6:04)

https://youtu.be/2RkaahIMh10

②震災に生きる中学生から何を感じ取るか(5:57)

https://youtu.be/oH1u8w7A02s

③塾長の感想(前半)(3:08)

https://youtu.be/CV4I2NvZlmk

④塾長の感想(後半)とこのテーマを選んだ理由(4:04)

https://youtu.be/kJrGGdPKFIc

⑤まとめ(4:00)

https://youtu.be/NUKDvM0YrTo

 

<配布したプリント(PDF)>

①のプリント 平和であるために

②のプリント 中学生の言葉など

③・④のプリント 塾長の感想

⑤のプリント 今してほしいこと

 

ところで、生徒全員から「学校でどんな話を聞いたのか」を尋ねたのですが、何名かの授業担当の先生が軽く触れたに留まったそうです。授業を1つ潰してホームルームをするくらいしてもよかったのではないでしょうか。

 

塾でやるべきことではないかも知れません。しかし私は目先の成績よりも、目の前にいる子供の人間的な成長の方が大切ではないかと考えます。何より本当の目的はこうしたことから自発的な、目標を持った学習ができる人間に育ってもらうことであり、それが実現すれば無理矢理勉強をさせるよりも遙かに成績が上がることを確信しているからです。

最後までご覧頂きありがとうございました。

『はじめてのおつかい』はなぜ泣けるのか

estelkyoiku@gmail.com 2021年02月17日 カテゴリー: 未分類

この文章は昨年12月に書いたのですが、出すタイミングを失っていました。タイムリーなネタではないのですが、この時期初めて見られる方もおられるかと思いますので、私の人となりを知って頂くために掲載します。

 

3年ほど前に深夜の再放送で『はじめてのおつかい』を見ました。以前見たのはいつだったか覚えていないくらい久しぶりに見ました。そして大号泣しました。以来放送があると欠かさず見ています。そして見るたびに泣いてしまいます。

 

多くの方がご存じの番組ですので説明は不要だと思いますが、4歳くらいの子供が1人でお使いに行く様子を追いかけるというものです。

 

この番組は、小さな子供が懸命に頑張る健気な姿や負けそうな自分と戦いながら自立への一歩を踏み出す姿、それを温かく見守る家族の姿などが見所だと思うのですが、しかしなぜあんなにも泣いてしまうのでしょう。

 

1つは、自分に子供がいないので映像上の子供を自身の子供に投影してしまうというのがあります。もちろんお子様をお持ちの方も同じような目線で見られていると思いますし、我が子と重ねたときの思いは計り知れないものと思えます。しかし自分に子供がいない時の無念さも一方ではあるのです。

 

そしてもう1つは、地域の方々の温かさだと思います。演出もあるのでしょうが、地域の方々が常に子供の目線に立ち、優しい言葉をかけ、一緒に欲しいものを探したり、お土産を渡したり、励ましたりして温かく見守っている。「こうした環境で育てばこの子はきっといい子に育つだろうな」と思ったりします。つまり「みんなで子供を育てている」ところに感動しているのだと思います。

 

ところが今の時代はどうでしょう。店は無人化されていっています。「人と距離を取る」ことは学校でも指導されていますし、コロナがなかったとしてもIT社会は「他人に冷たい社会」へ進んでいくような気がしてなりません。知らない人が声をかけたら犯罪者扱いされます。

 

小児性愛者が犯罪を起こしているのは事実ですから、その点は細心の注意を払わせることが当然であると思います。しかし店員や近所のよく知った人まで疑い出しかねない世の中になってきているような気がするのです。

 

 

大人が他人に対して興味を失ったり、疑いの目しか持てなくなってしまうと社会はどうなるでしょう。まして幼い子供であればどのような影響を受けるでしょう。そうしたことは現実に起こり得るのです。

 

ですから、今我々が意識しないといけないことは「他人の温もり」をどうすれば知ることができるのか、のような気がします。そしてそれは本当にネット上の世界で実現できるのか、ということです。私自身たまに人と会って話をすることがありますが、メールやLINEだけのやりとりにはない安心感があります。リモートをしたことがないのでわからないのですが、画面越しで会話をすることが直接会うことと同等の体温を得られるのでしょうか。

 

明治維新や戦後の復興は世の中を大きく変えました。その結果として現在があります。したがって社会が変容すること自体は受け入れる必要があります。しかしこれまでの大きな変革においても、例えば「他人への思いやり」「人と人とのふれあい」など人間が失ってはいけない部分は変わらずに守り続けていたように思えます。

 

『はじめてのおつかい』を見て泣いてしまうのは、人間が大きく変わってしまいそうな気がしてならないと感じるからかも知れません。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

芦田愛菜さんから思うこと ~読書は必要か~

estelkyoiku@gmail.com 2021年02月17日 カテゴリー: 未分類

この文章は昨年9月に書いたのですが、出すタイミングを失いお蔵入りになったものです。

しかし改めて読み直したとき、他の方特にこの塾に興味を持たれた方に読んで頂きたいと思い掲載することにしました。なお、文章は当時のままにしてあります。

 

芦田愛菜さんの『信じる』ことのスピーチが話題になっています。

映画のPRイベントで記者から質問された時の返答ですが、要約すると

 

「一般的に『信じる』という行為はその人に自分の理想や期待を被らせている。そのため『裏切られた』などという感情を持つが、それはその人の見えなかった部分が見えただけである。だから『信じる』ということはその見えなかった部分も含めてその人を受け入れることである。」といったものです。

 

実際のコメントはYouTubeにも動画が上がっているのでご覧頂ければと思います。

 

彼女は16歳です。16でここまでの思慮深さと伝達力がある人はなかなかいないと思います。内容も掘り下げたいのですが、今回はこうした発言ができる背景を考えたく思います。

 

大勢の前で自己の見解を理路整然と発言できる能力は幼い時から女優をしていたからですが、発言の内容については多くの方が指摘されているように『読書の量』にほかなりません。

 

私は知りませんでしたが、彼女の読書量は並外れていて6歳の時に月60冊本を読んだり、小学校高学年になっても年180冊読んだりしていたそうです。役者やタレントの仕事をしながらということを考慮するとその凄さは際立ちます。

 

やはり読書は大切なのだと改めて思わされました。彼女のような聡明な人物を育てたければ読書をさせる必要があります。

 

しかし現実はどうでしょう。ネット世界が蔓延することにより、読書ができる時間は圧倒的に減りました。また中学生であれば、学習量はとんでもなく多く来年からはさらに増えます。またクラブ活動の時間も2年前から少し減りましたが個人的にはまだ多すぎると思っています。

 

幼い時から読書が習慣になっている子供はともかく、中学生から読書を習慣づけることはかなり困難であると思います。特に読書をする必要のある成績の低い生徒は読書以前に日々の学校の復習すらままならない状態です。

 

なお、学校が朝の10分だけ読書をさせてもその子供が劇的に変わることはあまりありません。本当の意味で読書から得られるもの、例えば想像力・表現力・多様な価値観といったものは多くを読むことによって得られます。

 

しかし量を読むためにはスピードが必要です。本を読んでいなければそもそも読むスピードが遅いので量が読めません。だからといって字面を追うだけになっても意味がありません。つまり時間が無く、読むスピードが遅い子供に読書の効果はなかなか期待できないのです。もちろん1冊を丁寧に読むことも大切ですし、読み続ければ多少なりとも効果は出ますので、だから10分読書でも価値が無い訳ではありません。

 

結論ですが、聡明な人物に育てたければ読書は最善の方法かも知れません。ただそのためには幼い時から読書をさせる必要があります。では、読書をあまりせずに中学生になった場合はどうすればよいのでしょうか。

 

私は3つのことを考えます。

 

1つ目は「全員が聡明である必要はない」ということ。生きていくことと『信じる』の自己解釈ができることは同列に扱うことができません。

2つ目は「将来の人生経験に期待する」ということ。読書だけが頭を良くするわけではないということです。

3つ目は「教育行政が改革を行い子供にゆとりを持たせる」ことです。個人的にはこれを一番望むのですが、「ゆとり教育」が失敗したためどうすれば今後実現できるのだろうと悩みます。

 

ちなみに私自身は幼い時から人並み以上には本を読んでおり、中学生になってもそれは続いていました。今は全くと言っていいほど読まなくなりましたが、それでも子供の時の経験は今でも生きています。

 

読書が必ずしも必要かと言われればそうとは言い切れません。しかし、した方が良いことにちがいはありません。そのため結果的に読むか読まないかはともかく「読書の大切さ」は今の子供たちへも伝える必要があると思い直しました。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

生徒の力で校則を変えた天理市の中学校

estelkyoiku@gmail.com 2020年11月27日 カテゴリー: 未分類

久しぶりの更新です。

投稿には熱意とそれなりの勇気がいります。最近でも下書きはたくさん書いていました。しかし投稿するための一押しが出ませんでした。今年は3年生が一人もいないことと、3ヶ月出させて頂いたラジオで結果を残せなかったことが熱意を消沈させていました。

 

そんな中、書かずにはいられない嬉しいニュースがありました。

 

私はかねてより、「民主主義を教える学校は生徒に対し、『校則は生徒の力で変えることができる』ということを教えなければならない」と主張してきました。

 

校則は変えられないとおかしい

 

25日の産経新聞のネットニュースによると、「『女子の靴下は白色でなければならない』という校則に疑問を呈した中学生が、その廃止の是非を生徒による投票で決したいと訴え、学校の許可を受け実施。圧倒的賛成多数によりその校則を廃止させた。」とのことです。

<記事参考>※一定期間で削除されます。

「女子だけ白靴下は不平等」 生徒らが選挙を発案 意見示し学校動かす(産経新聞) – Yahoo!ニュース

 

ちなみに女子生徒にとって靴下の色問題は深刻で、私が教える生徒からも「靴下を自由にしてほしい」という声をよく聞きますし、「靴下が白だから」という理由で郡山高校を受けずに平城高校を受験した生徒もいました。私自身も「白でないといけない理由など何一つなく、かつ靴下を自由にしたからといって風紀が乱れたり、いじめが起きたりするとは到底思えない」と考えます。

 

ましてや、今回のように自分たちで作った校則であれば、なおそれを大切にするでしょうし、彼らが卒業しても「先輩が作った校則」であればそれをつぶすような生徒は滅多に現れないと思います。

 

しかし多くの学校は生徒が声を上げたくらいでは校則を変えようとしません。それを生徒は知っているため、初めからあきらめて我慢する道を選択します。あるいは内申のことを心配しておとなしく過ごそうと考えたりもします。そのような子供ばかりを育てることがこれから先の世の中にとって本当によいでしょうか。

 

Yahooのコメント欄にも書きましたが、世の中はすでに個性の尊重や多様性を認め、理解することが求められています。従来からの校則を見直しもせず、自由な発言もさせず、唯々諾々と従わせることが果たして正しい教育なのか、と思います。

 

むしろ、理不尽なこと、不満に思っていることに声を上げられる、行動を起こすことができる子供を育てる方がこれからの世の中にとって必要なことではないでしょうか。国際競争力という点においても、日本人はおとなしすぎて外国と対等に渡り合えないという側面があります。これまで以上に世界における日本の発言力が求められていく中で、自由に発言ができない環境で育てることが果たして正しいことでしょうか。

 

もちろん服装に関して、職業による制服の必要性や、社会生活上のマナーを知る必要はあると思います。それはそれで教えるべきで「制服をなくせ」とまでは思っていません。必要なことは「何が必要で何は必要でないのか」を話し合いを通じて生徒に学ばせることです。

 

そんなに構っていられない、他にするべきことが多すぎるという意見もあるかと思います。だから過去に何度も主張していますが、教える学習内容をあるいはクラブ活動の時間を減らさないといけないのです(クラブについては下書きで何度も書いていますが公開はまだしていません。いずれ公開します)。

 

別の意見として、「社会はそんなに甘くない。世の中や周囲の環境なんて簡単に変えられるものではない。」というのもありそうです。しかし初めからあきらめて育ってきた大人と、成功体験をして大人になった人が同じ力でしょうか。挫折することもあるかも知れませんが、前者よりは遙かに変える可能性は持っていると思います。

 

 

私は教育者の本当の端くれです。いえ、自称教育者です。ですから私の意見に耳を貸す人などいません。このブログも何人の方に見て頂いているのでしょう。本当の教育者の方は今回の中学生のことをどのように受け止めていらっしゃるのでしょう。また、不安しか感じない将来を若い彼らが生き生きと生きていくためには、今どのような教育をすることが必要と考えていらっしゃるのでしょう。

 

私は今回の中学生の動きは実際に行動した生徒会長のみにとどまらず、投票に関係の無かった男子生徒にも影響を与えたのではないかと考えます。私は将来の彼らの活躍と、こうした動きが全国に広まっていくことを期待したいのですが、果たしてどうなるでしょうか。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

中学生の正しい新聞の読み方

estelkyoiku@gmail.com 2020年08月4日 カテゴリー: 未分類

8月3日放送の私が出演している「ラジナビ」で、「国語の力を上げる一番の方法は新聞を読むことだ」と言いましたが、時間が短すぎたので補足をしておこうと思います。

 

まず、新聞がなぜよいかですが、

①話が短い

②語彙や文法の難易度が高くない(中学生には少し難しいが、だからよい)

③日本語の文として正確なので正しい日本語が身につく

④テーマが多岐にわたっており、知識が豊富になる(あるいは興味のあるテーマを見つけやすい)

⑤社会問題への関心が高まる

⑥多様な視点で物事を捉えられるようになる(新聞社によって偏りはあるものの、対立軸のあるものは基本両面併記しているため)

といった点が挙げられます。

 

普通の読書も悪くはなく、好きであれば読んでほしいです。ただ好きでない場合は仮に読んだとしてもあらすじだけわかればよいと早読みしてしまいます。これだと少し読んだくらいでは国語力は身につきません。なにより読書で読む本はたいてい小説ですが入試で出る多くは論説文や随筆です。

 

一方、新聞はじっくり読まないと何が書いているのか理解できませんし、読解力はもちろん、その時に使う頭は論理的な力も養います。また、その時知った語彙や日本語の使い方は小説よりも国語のテストや実生活に役立ちます。さらに新聞で書かれることは考えさせられるテーマも多いので思考力も自然に身につきます。

 

ちなみに来年から実施される新学力観はそのほとんどを新聞で身につけることができます。つまり新聞を読むことは国語だけでなく、5教科すべてに役立つのです。

 

ただ大事なのは「新聞の何を読むか」です。

よく、「天声人語などの一面コラムや社説を読め」と言われますが、これらは前提知識がないと何が書いてあるのか理解できないのでお勧めしません。中学生でも読んだ方がよい「当たり」の回もありますが、これらを読むのは高校生になってからでよいと思います。

 

中学生の正しい新聞の読み方は、「最初から最後までのページの見出しだけを見て、自分が興味を持ったところだけ読む」という方法です。1週間毎日見出しを拾うと必ず引っかかる記事が出てきます。まずはそこだけで構いません。それを続けると読む記事はどんどん増えていきます。もちろん読解力が低いお子様であれば保護者の方がサポートする必要があります。

 

先程「記事」と書きましたが、記事よりもっと読んだ方がよいのは「国際面以降にあるコラム」や「記者の雑記的なもの」「悩み相談」などニュース記事以外の文章です。ニュース記事と比べこれらの文章は結論があるため、そこだけ読んで話が完結します。特に中学生の場合、「国際・教育・家庭・スポーツ」のそうした文章は関心を持ちやすいので、そこは意識的に読めばよいと思います。興味があれば科学面もお勧めです。

 

ちなみに私が中学生の時は教育面と家庭面は必ず読んでいました。国際面の記者のルポも勉強になった記憶があります。そんな私の国語のテストは教科書を読むことと漢字文法を勉強するだけで毎回80点以上取っていました。

 

あと、真似はしなくていいですが、当時親が購読していた新聞は私にとって思想的に合いませんでした。そのため「読者の声」欄も欠かさず読み、「こいつ何言ってんねん」「お前の意見はここがおかしい」と批判的に読んだりもしていました。

 

一方、政治・経済面はほとんど理解できませんでした。これらは前提知識がないとわからない場合が多いです。ただ、昔と違い今はわかりやすくニュースを解説してくれるテレビ番組が多いです。そこで理解をしてから新聞を読ませると読めるようになるのではないでしょうか。もちろん保護者の方が助けるということも大切です。

 

また、新聞の内容をまとめた文章を書けば「要約力」や「表現力」がつきますし、さらに自分の意見も書けば「自己の論理性」や「自己主張力」も身につきます(もちろん正しい文章を書ける人が添削する必要はあります)。

 

結論ですが、新聞が読めるようになると「国語力・読解力・思考力・社会に対する意識」が身につきます。保護者の方に限らず、将来の人材の育成を考えた時に「新聞が読める中学生」と「読めない中学生」のどちらを望まれるでしょうか。

 

しかし新聞を取っていない家庭は多いです。ネットニュースは子供には向きませんし、テレビも映像の印象は残りますが内容はあまり残りません。個人的には小学5年生から高校3年生までの8年間は子供のために新聞を取った方がよいように思います。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

公立高校普通科再編の課題 ~中学2年生がかわいそうすぎる~

estelkyoiku@gmail.com 2020年07月23日 カテゴリー: 未分類

奈良県立大附属高校の開校延期のニュースも大きかったですが、先週15日の公立高校普通科再編のニュースはそれ以上に大きなものです。

 

簡単に説明すると、いまある公立高校の普通科を「普通科」「学際総合学科」「地域探究学科」の3つに分割するというものです。目的は「大学に行くつもりのない生徒が普通科で学習する意義は薄く、多様な学習をさせた方がよい」ということです。現在のところ実施の対象は今の中学2年生からとなり、経済界からの要望もあるため予定通り実現されると思われます。

 

各高校がどのように対応するかはまだわかりませんが、学力で区分した場合、上位校は普通科のみ、中位校は各コースが混在、下位校の普通科は無くなるのではないかと思われます。

 

国は以前から公立高校の特色化(今回の再編やそれ以外の特色コースの増加)を目指していたので私は驚いてはいません。

2019年5月7日のブログ

国が動いています ~高校特色化へ~

 

私は以前から特色化自体は賛成で、過去にも同様の主張をしています。ただ同時に中学生に対する意識付けを行い、興味を向けさせないと混乱しか生まないと繰り返しています(詳しくは上のリンク先のさらにリンク先をご覧下さい)。

 

今回の動きに対し、2点問題を指摘しておきます。

 

1つは、全国の中学校は知りませんが、地元の中学校はこの大きなニュースを生徒に伝えていません。特に最初に対象となる2年生には必ず伝えないといけない大ニュースです。このまま中3になるまで放置するつもりでしょうか。大して情報も与えられず先行き不透明なコースに積極的に行きたいと思う中学生がどれほどいるでしょう。中学校だけでなく、高校も県教委も国も必死になってアピールしないと、1つの高校に3つのコースが混在すれば、大幅に減った普通科に受検者が集中する恐れは十分あり得ます。

 

2つ目は、以前から指摘しているように、来年学習指導要領が変わりおそらく入試問題も大幅に変わります。特に英語の新しい教科書への強引なスライドは新中3にとってついていくことすら困難な内容です。そうした混乱が目に見えている年にこんな大きな変更は混乱をさらに増すだけです。

 

改めてまとめますが、現在の中学2年生は

①現中3より人数が多い。→定員を増やさないと競争率が上がる(奈良県だけかも知れませんが)。

②コロナによる経済不況。→公立の人気が高まり、競争率が上がる可能性。

③普通科人気が明らかな中で特色コースを増加するも生徒を集める努力が足りない。→少なくなった普通科に受検者が集中する可能性。

④コロナによる今年度の混乱。→中学生としてふさわしい夏休みが過ごせない(特に私の地元の中学校)。教科書が急速に進み理解が十分でないまま中3になるおそれ、あるいは来年への持ち越しの可能性。

⑤来年度の教科書変更→特に英語は今年度の内容が理解できなければ来年の教科書は全く理解できない。他の教科も覚える量は変わっていないのに思考力や判断力の強化が追加される。それに合わせ入試問題も大幅に変更される可能性。さらにコロナにより中2の内容が年度内に終わらなければ中3の内容は到底消化しきれない。

⑥今の中3はコロナに対する配慮をしてくれるが来年もしてくれるとは思えない。

 

といった問題があります。

 

同じことばかり言っていますが、文科省が具体的に学習量を減らし、すべての教育行政が特色科のPRを積極的に行えばすべて解決するのです。ただそれを行わなければ「過去に例を見ないほどの惨状が今の2年生に襲いかかる」ということは言い過ぎではないと思います。

 

よろしければYouTubeもご覧下さい。以前上げたものを再編集しました。

【ブログ用再編集】データでわかる公立高校の特色コースが人気の無い理由

https://www.youtube.com/watch?v=8uNVHatY2r4

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

西の京高校は今年度も生徒募集すべき【奈良県立大附属高校開校延期】

estelkyoiku@gmail.com 2020年07月21日 カテゴリー: 未分類

以前から言われていましたが、7月13日、正式に奈良県立大附属高校(以下「附属高校」)の開校が延期されました。

それに伴い西の京高校の閉校は1年延期すべきです。

その理由は後で書きますが、そもそも附属高校はやる気があるのでしょうか。

 

7月14日時点の話ですが、「奈良県立大附属高校」と検索をかけてもGoogleもYahooも学校のHPが出てきません。いずれも10ページ目でも出てきません。またHPには学校の情報はほとんどありませんし、今回の開校延期に関するお知らせもありません。

ちなみに学校のHPです。

https://www.narapu.ac.jp/category_list.php?frmCd=23-0-0-0-0

 

開校延期の理由は「コロナのせいで学校説明の周知ができないから」としていますが、コロナが理由でHPが作れないのでしょうか。会場を借りた学校説明会ができなくても学校の宣伝はできると思います。また、外出自粛はとうの前に終わっています。感染防止対策を徹底すれば今月にでも説明会はできたのではないでしょうか。本気で新しい学校を運営したいという意気込みが感じられません。

 

なにより設置が決まってからコロナが発生するまで何をしていたのでしょうか。中3生にいきなり、進路実績がなくかつ「探究科」というよくわからないコースを示したところで興味を持つはずがありません。昨年香芝高校の表現探求コースが出願者26名・倍率0.65倍しかなかったことをご存じないのでしょうか。中学生の多くは普通科へ行きたがっているのです。

 

ちなみに昨年できた国際高校は特色選抜の国際科plusが1.56倍あったのに対して一般選抜の国際コースが0.58倍でした。国際科plusの人気が高かったのは「特色でも何でもいいのでどうしても公立へ行きたい」から「2回受験チャンスがある1回目」として国際科plusを受検した生徒が一定数いたためです。そう言い切れるのは、「特色選抜の倍率が高い=特色コース人気であるなら一般選抜の特色コースも倍率が高くないとおかしい」からです。

 

「探究科」が悪いのではありません。繰り返しになりますが、中学生は普通科へ行きたがるのです。ですから今の中3生が2年生になった頃からアピールして魅力を伝えておかないと、ましてや200名も募集するのであればなおのことです。未だにHPもできあがっていないとかありえません。

 

 

それでも今年度の募集があればある程度生徒を集めることができました。特色選抜と同じ日に試験を行えば一般選抜の受検者を200名減らすことができたかも知れません。しかし開校が延期されればその200名は一般選抜を受検するか他の特色選抜を受検します。つまり「附属高校の開校延期は公立高校の入試に間違いなく影響が出る」のです。

 

しかし、県教委の吉田教育長は今回のニュースに関し「県立大学の附属高校は、設置主体が大学で公立高校の募集定員とは別枠になる。これによって公立高校の募集定員が増減するなどの影響はない」と仰いました。

 

あきれるしかない発言です。こんな人が教育長なのかと思いました。

 

たしかに附属高校は公立大学法人が運営しますので奈良県とは関係のない高校になります。しかし関係がないのであれば西の京高校という中間層の高校の定員が320名減ることによる影響は起きないと考えているのでしょうか。

 

今回の高校再編で閉校した定員の合計は920名、増加したのは国際高校の184名だけで、今年度も国際高校は定員を充足できるかわかりません。さらに昨年公立高校の受検者が減ったのは子供の数の減少以上に授業料無償化による私立高校の専願が増えたからです。しかし今年はコロナによる経済状況の悪化から公立に戻ってくる可能性は非常に高いと思います。いくら授業料が無料であってもトータルの費用はやはり公立の方が安いからです。

 

つまり今年こそ普通科はどこかの高校でとんでもない倍率になる可能性があります。起きてからでは遅いのです。そのため西の京高校の閉校は1年延期しなければならないのです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

校則は変えられないとおかしい

estelkyoiku@gmail.com 2020年07月21日 カテゴリー: 未分類

この話はYouTubeにダイジェストとしてあるのですが、文章としても残しておこうと思います。

 

校則がある一番の理由は「管理がしやすいから」だと思うのですが、生徒に対してそれは口にできません。そのため「なぜこの校則があるのか」「なぜ守らないといけないのか」という問いに対し、「校則に書いてあるから」と答える先生もおられると思います。ただ先生であるのなら、どう考えてもおかしい校則は除き、本来説明はできなければいけないと思います。

 

校則を説明する時によく引き合いに出されるのが法律です。「日本は法治国家であり、法律は国民として守らなければならない。それに慣れるために校則があり、だから守らないといけない。」と言う理屈です。法律は審議を重ね、必要な理由をはっきりさせているから守らないといけないのです。

 

また、「社会に出たら理不尽な規則もあるから、それに戸惑わないよう納得のいかない規則にも従える耐性をつける必要がある」という意見も聞いたことがありますが、それは屁理屈で中学生に対して言うべきことではないと思います。

 

「服装の乱れは心の乱れ」とか判で押したような答えをする先生もいかがかと思います。「服装を乱していても心は乱れていない大人」を子供はたくさん知っています。

 

先日、髪型のツーブロックが都立高校の一部で禁止されたというニュースがありました。都教委の教育長は「外見が原因で事件や事故に遭うケースがあるから」と理由を述べていました。誰が納得できるのでしょうか。

 

一方、「校則を全て無くしました」という学校がありましたが、それも変な話です。集団生活を営む上で明文化されたルールは必要です。個性だけ認めても社会は成り立ちません。自分で線引きをする力も大事ですが、「規則に従う大切さ」そして「規則に対して疑問を持つ姿勢」も教育には必要だと思います。

 

 

つまり「校則は社会性を身につけるなど集団生活を営む上で必要なものであり、かつ説明できないものは校則にしてはいけない」ということです。そして本論ですが、私が言いたいのは「生徒が校則を変えられる(または新たに作れる)学校」を目指すべきだということです。

 

納得のできないことを誰もが訴えることができ、それを変えることができる環境を学校は作るべきです。もちろん校則を1人の意見で変えてしまってはまとまらなくなるので、そこは先生と生徒会+αの生徒(生徒会だけだと少なすぎるので)の混じる委員会を作り、審議・決議をすればよいのです。

 

校則ではありませんが、私の生徒が通っている学校では、かつて「なんで女子はサッカー部に入れないのですか」と当時の校長に直訴し、1人で男子に混じってサッカーをした女の子がいました。これがあるべき姿だと思いますが、そこまで度胸のある生徒はなかなかいないと思います。

 

「地方自治は民主主義の学校」と言いますが、学校こそ「民主主義の学校」であるべきです。国民が法律に基づいて国を作っていくように、「生徒が主体となって学校を作っていく」という姿が今後必要となるのではないでしょうか。主体性のある人材を育てたいのであれば、学習スタイルだけでなく学校そのものを変えるべきだと思います。

 

また、校則に疑問を持つことは法律や社会の問題に対する疑問にもつながっていきます。そして校則を変えることができれば、「世の中は変えることができる」という自信や「これはだめなんだ」という線引きが身につきます。さらに、将来の政治への関心の高まりや、その生徒の社会性にもつながります。学校の活気もよくなります。

 

学校が締め付けるだけの場所だと、世の中に対する閉塞感しか生みません。変えることのできない校則で生徒を縛ることは将来の希望を失わせることにもつながると思います。

 

民主主義の世の中を教えるのが学校であるのなら学校が民主主義にならないといけないと思います。

 

よろしければ公開しているYouTubeもご覧下さい。

【公民雑談厳選集38】「覚えておいてほしい34の話」ダイジェスト(2020/1/20)

2:06~2:30で校則について話しています。

https://www.youtube.com/watch?v=vjAhiD5EKc0

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

本当に「withコロナ」でいいのですか

estelkyoiku@gmail.com 2020年07月1日 カテゴリー: 未分類

「withコロナ」という言葉は今年の流行語大賞間違いないと思います。日本中で知らない人はいない「コロナ」に対して前向きなイメージがあるからです。しかし私はこの言葉が嫌いです。前向きに捉えようという心構えはいいのですが、撲滅できないというあきらめの気持ちが強くなってしまうからです。

 

政府は「新しい生活様式」として、マスクで半分顔を隠し、人と距離を取ることを求めています。会社の取引はおろか、友人との集まりも教育現場でもモニター越しに会話をする世の中にしようとしています。また社会も様々な工夫を凝らし適応を試みています。

 

人々は最初は「仕方がない」と思って取り組みますが、それが当たり前になってしまうとどうでしょう。人類が集団生活を営むようになって以来築いてきたものが失われやしないでしょうか。マスクは表情をわかりにくくします。物理的な距離は心の距離とも関わります。目の前に生身の人間がいるから気遣いをするのです。いくら人の心に配慮しながら「withコロナ社会」を目指したとしても少しずつ確実に人の心は失われていきます。オンラインで笑顔になっている映像を見ても、私にはうわべの笑顔にしか見えません。心のどこかで寂しさを感じるのが人間のような気がします。今年小学1年生になった子供が6年間「新しい生活様式」で過ごせばどのように育つでしょう。我々が理解し得ないことが起きるような気がしてなりません。

 

多くの人がそうだったと思いますが、私は子供の頃「ドラえもん」が描く近未来(22世紀)の世界にあこがれました。現在、それが現実のものになろうとしているのですが、相変わらず利便性の追求がメインで、それが及ぼす人の心への影響は講じられていない気がします。

 

私は人類史上最大の転換点をこれから迎えるのだろう、我々は新しい人類へと生まれ変わるのだろうと思います。ただそれが「コロナというウイルスがきっかけ」というのが気に入らないのです。感染力や生存力が妙に強いだけで致死率も高くないウイルスのせいでです。

 

ワクチンが開発され、コロナもインフルエンザと同等の扱いに早くなってほしいのですが、すでに遅いかもしれません。世間は違和感を持ちながらもわりと「withコロナ」を受け入れ、社会は人類の変化を着々と進めているような気がします。

 

私は以前の記事で書いたように、現時点ではどのような世の中になろうと構わないのですが、急激な変化はあらゆる場面で不測の事態を起こします。社会を混乱させないためにも、何より子供の健全な成長のためにも「withコロナ」ではなく「脱コロナ」を意識する必要があるのではないかと思います。

 

話が変わりますが、先日ある高校の剣道部で、コロナ対策として面の下にマスクをつけさせる指導をしているという記事を読みました。そんなことをすれば死の危険が迫ります。そこまでしてさせる必要があるのかと思います。

 

「withコロナ」であるのなら弓道以外の一切の武道・格闘技はできません。レスリングや柔道、相撲などはどう考えてもできないでしょう。私は剣道と合気道をしていましたが、どちらも相手との呼吸が大切になります。特に合気道は呼吸を合わせ、相手の心と一体化しなければなりません。距離を近づけないと合気道は成立せず、「withコロナ」と真逆の世界にあります。

 

サッカーやバスケットボールなど「コンタクトスポーツ」と呼ばれるものも本当はしてはいけないはずです。今は感染の波が弱いのでしていますが、強まればその度に停止しなければならず、そのような継続性のないスポーツはスポーツとして成り立たないと思います。

 

「withコロナ」を目指すのであれば、してもよいスポーツを絞る必要があります。それを受け入れるのが「withコロナ」だと思います。

 

多くの方はコロナと共存しながら工夫をして今あるスポーツを継続すればよいと考えるかも知れません。しかしそれは「今」の考え方であって、活動できなくなるリスクを抱えているスポーツと感染拡大中でも実行できるスポーツがあったとしたら、将来の人々はどちらを選ぶでしょう。例えば卓球や重量挙げやボルダリングなどは消毒と換気さえすればできると思います。もちろん新しいスポーツも生まれるでしょう。集団の球技は今は人気ですが、将来もそうであるとは限りません。人々の嗜好も変わるのです。ましてや人間はこれまでと異なる人間になろうとしているのです。同じ場所で心を通い合わす必要のある集団スポーツを他人と距離を取って育ってきた人が「やりたい」という気持ちにはならないと思うのです。

 

音楽や芸能の「無観客ライブの配信」もこれまで続けてきたものを「しないよりはマシ」でしているだけで、演者も観客も今は「本当に満足」しているとは思えません。しかし近い将来そうしたことが普通の感覚になっているような気がしてなりません。

 

今まで当然であったものを失い新しいものを受け入れていく。それが「withコロナ」です。しかし私も含め表面的には受け入れながらも本心では受け入れたくない人は「今は」まだ多いと思います。

 

今なら間に合うかもしれません。皆様が自身に問いかけてほしいのです。

本当に「withコロナ」でよいのか、ということを。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

ラジオ出演 ~一生の思い出か人生の転機か~

estelkyoiku@gmail.com 2020年07月1日 カテゴリー: 未分類

6月26日、生まれて初めてラジオ局へ行きラジオの収録をしてきました。

以前書きましたが、ラジオ製作会社より教育に関するコメンテーターとしてラジオ出演の依頼があったためです。

 

 

ラジオ大阪の「ラジナビ」という番組です。番組を聴いた限りでは、進行役のアナウンサーの方と一般の方がその人の仕事について語り合う「自分の仕事の紹介番組」の印象を持ちました。

 

最初「コメンテーター」として来てほしいと言われたため、かなり浮かれたのですが、普通に考えて「教育問題」を語るにはブログやYouTubeで一人騒いでいるだけの素人ですので、その角度からのお誘いが来るわけありません。ただ、自分の勤めている業界について思いを話すわけですから「コメンテーター」であることに違いはないよなと思い直しました。

 

今回の収録は4本撮りでした。5分番組ですが、実質の放送は3分ですので、あっという間に収録は終わりました。各回3分数秒で録音を止められたので、ほぼそのまま流れるような気がします。話した内容は塾を始めるに至った経緯や塾の紹介、子供を取り巻く現状の触りの部分などを話した気がします。

 

「気がします」というのは、緊張していたことに加え、資料をほとんど見ずに話したことや1本1本の具体的な内容が当日決まったため、話した内容は全くといっていいほど覚えていないのです。そこまでひどくはなかったと思うのですが、詰まる場面も多く、編集される方のお手を煩わせてやしないかと申し訳なく思います。ただ、スタッフの方はとても感じが良く、収録自体も日常得られない刺激があり、実際の放送がとても楽しみです。

 

対面で進行して頂いた水野アナウンサーは、数分しか打ち合わせをしていないのに、常に私が答えやすいように工夫して質問をして頂いたり、頭が真っ白になって予定と違うことを私が口走っても、不自然とならないように受けたうえで話を戻して頂いたり、「さすがプロは違う」と感激しました。

 

 

ところで私は今回の収録に際し、ある1つの希望を抱いています。

 

それは「このラジオ出演をきっかけに違う世界へ進む」ということです。

 

これは今の塾をやめるということではなく、「子供達の成長にふさわしい環境を作ったり、子供達に本当に必要なものを与えられる存在になりたい」ということです。

 

他のブログやYouTubeも見て頂ければわかると思うのですが、私は常に「子供はどうあるべきか」「大人はどうすべきか」ということを考えています。その結果、今回のお誘いを頂いたり、過去には産経新聞社の方の目に留まったりといったことがありました。

 

今回のラジオ出演はもちろん塾の宣伝として塾生が増えることも期待しますが、塾生が増えるだけでは子供達を取り巻く環境は変わりません。今ある制度を変えさせるなど、世の中にもっと大きな影響を与えられるようになりたいのです。

 

タイトルにも書いていますが、今回のラジオ出演が「一生の思い出になるか、人生の転機になるか」というのはそういったことです。

 

その点でいくと今回の収録は満足していません。あの内容で関心を持って頂く方はおられないと思います。今のままでは「一生の思い出」で終わると思います。

 

あと2回(8月分と9月分)収録の機会を頂いています。今回の反省を踏まえ、「こいつの考えていることは面白い」と思って頂けるお話をお届けしたいと思います。

 

 

最後に番組放送の詳細です。

毎月曜16:55~17:00 ラジオ大阪「ラジナビ」

初回放送は7月6日です。

radikoをインストールすると放送後1週間、PCやスマホで聞くことができます。

 

ぜひご聴取頂ければと思います。

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