この文章は昨年12月に書いたのですが、出すタイミングを失っていました。タイムリーなネタではないのですが、この時期初めて見られる方もおられるかと思いますので、私の人となりを知って頂くために掲載します。

 

3年ほど前に深夜の再放送で『はじめてのおつかい』を見ました。以前見たのはいつだったか覚えていないくらい久しぶりに見ました。そして大号泣しました。以来放送があると欠かさず見ています。そして見るたびに泣いてしまいます。

 

多くの方がご存じの番組ですので説明は不要だと思いますが、4歳くらいの子供が1人でお使いに行く様子を追いかけるというものです。

 

この番組は、小さな子供が懸命に頑張る健気な姿や負けそうな自分と戦いながら自立への一歩を踏み出す姿、それを温かく見守る家族の姿などが見所だと思うのですが、しかしなぜあんなにも泣いてしまうのでしょう。

 

1つは、自分に子供がいないので映像上の子供を自身の子供に投影してしまうというのがあります。もちろんお子様をお持ちの方も同じような目線で見られていると思いますし、我が子と重ねたときの思いは計り知れないものと思えます。しかし自分に子供がいない時の無念さも一方ではあるのです。

 

そしてもう1つは、地域の方々の温かさだと思います。演出もあるのでしょうが、地域の方々が常に子供の目線に立ち、優しい言葉をかけ、一緒に欲しいものを探したり、お土産を渡したり、励ましたりして温かく見守っている。「こうした環境で育てばこの子はきっといい子に育つだろうな」と思ったりします。つまり「みんなで子供を育てている」ところに感動しているのだと思います。

 

ところが今の時代はどうでしょう。店は無人化されていっています。「人と距離を取る」ことは学校でも指導されていますし、コロナがなかったとしてもIT社会は「他人に冷たい社会」へ進んでいくような気がしてなりません。知らない人が声をかけたら犯罪者扱いされます。

 

小児性愛者が犯罪を起こしているのは事実ですから、その点は細心の注意を払わせることが当然であると思います。しかし店員や近所のよく知った人まで疑い出しかねない世の中になってきているような気がするのです。

 

 

大人が他人に対して興味を失ったり、疑いの目しか持てなくなってしまうと社会はどうなるでしょう。まして幼い子供であればどのような影響を受けるでしょう。そうしたことは現実に起こり得るのです。

 

ですから、今我々が意識しないといけないことは「他人の温もり」をどうすれば知ることができるのか、のような気がします。そしてそれは本当にネット上の世界で実現できるのか、ということです。私自身たまに人と会って話をすることがありますが、メールやLINEだけのやりとりにはない安心感があります。リモートをしたことがないのでわからないのですが、画面越しで会話をすることが直接会うことと同等の体温を得られるのでしょうか。

 

明治維新や戦後の復興は世の中を大きく変えました。その結果として現在があります。したがって社会が変容すること自体は受け入れる必要があります。しかしこれまでの大きな変革においても、例えば「他人への思いやり」「人と人とのふれあい」など人間が失ってはいけない部分は変わらずに守り続けていたように思えます。

 

『はじめてのおつかい』を見て泣いてしまうのは、人間が大きく変わってしまいそうな気がしてならないと感じるからかも知れません。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。