「withコロナ」という言葉は今年の流行語大賞間違いないと思います。日本中で知らない人はいない「コロナ」に対して前向きなイメージがあるからです。しかし私はこの言葉が嫌いです。前向きに捉えようという心構えはいいのですが、撲滅できないというあきらめの気持ちが強くなってしまうからです。

 

政府は「新しい生活様式」として、マスクで半分顔を隠し、人と距離を取ることを求めています。会社の取引はおろか、友人との集まりも教育現場でもモニター越しに会話をする世の中にしようとしています。また社会も様々な工夫を凝らし適応を試みています。

 

人々は最初は「仕方がない」と思って取り組みますが、それが当たり前になってしまうとどうでしょう。人類が集団生活を営むようになって以来築いてきたものが失われやしないでしょうか。マスクは表情をわかりにくくします。物理的な距離は心の距離とも関わります。目の前に生身の人間がいるから気遣いをするのです。いくら人の心に配慮しながら「withコロナ社会」を目指したとしても少しずつ確実に人の心は失われていきます。オンラインで笑顔になっている映像を見ても、私にはうわべの笑顔にしか見えません。心のどこかで寂しさを感じるのが人間のような気がします。今年小学1年生になった子供が6年間「新しい生活様式」で過ごせばどのように育つでしょう。我々が理解し得ないことが起きるような気がしてなりません。

 

多くの人がそうだったと思いますが、私は子供の頃「ドラえもん」が描く近未来(22世紀)の世界にあこがれました。現在、それが現実のものになろうとしているのですが、相変わらず利便性の追求がメインで、それが及ぼす人の心への影響は講じられていない気がします。

 

私は人類史上最大の転換点をこれから迎えるのだろう、我々は新しい人類へと生まれ変わるのだろうと思います。ただそれが「コロナというウイルスがきっかけ」というのが気に入らないのです。感染力や生存力が妙に強いだけで致死率も高くないウイルスのせいでです。

 

ワクチンが開発され、コロナもインフルエンザと同等の扱いに早くなってほしいのですが、すでに遅いかもしれません。世間は違和感を持ちながらもわりと「withコロナ」を受け入れ、社会は人類の変化を着々と進めているような気がします。

 

私は以前の記事で書いたように、現時点ではどのような世の中になろうと構わないのですが、急激な変化はあらゆる場面で不測の事態を起こします。社会を混乱させないためにも、何より子供の健全な成長のためにも「withコロナ」ではなく「脱コロナ」を意識する必要があるのではないかと思います。

 

話が変わりますが、先日ある高校の剣道部で、コロナ対策として面の下にマスクをつけさせる指導をしているという記事を読みました。そんなことをすれば死の危険が迫ります。そこまでしてさせる必要があるのかと思います。

 

「withコロナ」であるのなら弓道以外の一切の武道・格闘技はできません。レスリングや柔道、相撲などはどう考えてもできないでしょう。私は剣道と合気道をしていましたが、どちらも相手との呼吸が大切になります。特に合気道は呼吸を合わせ、相手の心と一体化しなければなりません。距離を近づけないと合気道は成立せず、「withコロナ」と真逆の世界にあります。

 

サッカーやバスケットボールなど「コンタクトスポーツ」と呼ばれるものも本当はしてはいけないはずです。今は感染の波が弱いのでしていますが、強まればその度に停止しなければならず、そのような継続性のないスポーツはスポーツとして成り立たないと思います。

 

「withコロナ」を目指すのであれば、してもよいスポーツを絞る必要があります。それを受け入れるのが「withコロナ」だと思います。

 

多くの方はコロナと共存しながら工夫をして今あるスポーツを継続すればよいと考えるかも知れません。しかしそれは「今」の考え方であって、活動できなくなるリスクを抱えているスポーツと感染拡大中でも実行できるスポーツがあったとしたら、将来の人々はどちらを選ぶでしょう。例えば卓球や重量挙げやボルダリングなどは消毒と換気さえすればできると思います。もちろん新しいスポーツも生まれるでしょう。集団の球技は今は人気ですが、将来もそうであるとは限りません。人々の嗜好も変わるのです。ましてや人間はこれまでと異なる人間になろうとしているのです。同じ場所で心を通い合わす必要のある集団スポーツを他人と距離を取って育ってきた人が「やりたい」という気持ちにはならないと思うのです。

 

音楽や芸能の「無観客ライブの配信」もこれまで続けてきたものを「しないよりはマシ」でしているだけで、演者も観客も今は「本当に満足」しているとは思えません。しかし近い将来そうしたことが普通の感覚になっているような気がしてなりません。

 

今まで当然であったものを失い新しいものを受け入れていく。それが「withコロナ」です。しかし私も含め表面的には受け入れながらも本心では受け入れたくない人は「今は」まだ多いと思います。

 

今なら間に合うかもしれません。皆様が自身に問いかけてほしいのです。

本当に「withコロナ」でよいのか、ということを。

 

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