このブログをご覧頂く方がどの回を最初に見て頂くがわかりませんので、毎回同じことを最初に書かせて頂きます。私の「9月入学問題」に関する基本的スタンスは、「学習内容を大幅に減らしたうえで3月卒業(つまり4月入学)」か、「8月31日まで休校とし、その間にオンライン体制を万全なものとし、対面授業とオンライン授業を併用したカリキュラムのもと7月卒業(つまり9月入学)」のどちらかがよいと元々は考えており、現在は「どちらかで言えば9月入学の方が良い」という立場です。

 

その理由をこの「各論」で述べていきます。

今回は、文科省が採った「学習内容をほとんど減らさず3月卒業」について、「学習内容を減らさないのはおかしい」という話よりも、最後に書いた「学習内容を減らすことの何が問題なのか」をお伝えしたく思います。

 

まず、文科省の採った方策は子供にとって無理がありすぎて、学力格差をさらに大きくさせる、あるいは全体的に大幅な学力低下を生むことになる可能性があります。

 

学力格差の話をする場合、必ず出てくるのが「学力格差は起きて当たり前だ。勉強をしない子はどのような環境でもやらないし、むしろできる子を伸ばさないといけない」「平等主義が日本の学力低下を招いている」といった論です。仰ることはごもっともです。ただそうした論に反対したいのは、1つは私が見ている中学生の学力は低すぎる子が多く、将来生きていけるのかとても心配になります。実際にそうした子と接すれば「何とかしてあげたい」という気持ちになります。

 

そしてもう1つが「学力格差が想像以上に大きくなり、将来国家レベルの問題になりかねない」ということです。

 

低位クラスは確かにどのような環境でもそれほど変わらないかも知れません。しかし一番多い層である中位クラスの子はなぜ中クラスなのか、それは「勉強を仕方なくやっている」からです。一方上位クラスの子は「必要を感じて勉強をしている」から成績がいいのです。中学生くらいになると頭の善し悪しも成績に大きく関わりますが、根本的なこととして「学習に対する意欲」がその子の成績を支えています。コロナの休校期間中でその差は歴然としたものになったと思います。そして学校再開後ですが、過酷な環境下でも学習に励めるのは学習意欲の高い子供です。意欲が低ければ外部環境により集中力が大幅に低下します。勉強しなくなる子も出てくると思います。塾に通ったとしても別の回で書いたように脳は疲労しきっているので学習効率は下がります。なにより成績中クラスの子はテスト直前に詰め込み学習をします。しかし今回は期末テスト1回だけですので範囲も多く詰め込みきれません。さらに別の回で詳しく書きますが、デジタル化の一番良くない点として、「モニタでの学習は学習意欲が高くないと身につかない」という点です。これまで「先生に見られているから勉強していた」生徒が、自分から取り組まないといけないデジタルの世界で学習成果を上げることはすぐにはできないと思います。

 

こうしたことから、「成績上位層と次の層との間に大きな格差ができるのではないか」あるいは「中間層が大幅に減るのではないか」という懸念が生まれるのです。つまり学力の低い人材が将来大量に世に出る可能性があるのです。もしそうなれば国家存亡の危機です。それでも学力格差は起こした方がよいでしょうか。

 

一方私が主張する「学習内容の大幅削減」ですが、例えば最初から最後まで「ゆとり教育」で育った子供がすでに社会に出ています。彼らは社会に貢献できていないでしょうか。優秀な人も大勢いると思います。学習する量が少なければやる気の出る生徒は多いです。「学習する量が多くてやる気がなくなる生徒が増える」よりも「学習する量は少ないが多くの生徒が真剣に取り組んでいる」方が良くないですか。なお、「ゆとり教育」の時に活躍したのは塾です。削減されたことにより不足する学習は塾が担い、やりたい子だけがやればよいのです。そうすれば全体的な学力を落とさずに、かつ伸びる子を伸ばすことができます。

 

最後にもう一度言わせて下さい。「詰め込みにして無理矢理3月卒業」させようとしている文科省の方針は明らかに間違えています。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。