前々回「和」と「個」の話が出ましたが、今はまっている曲がそれとすごくリンクするので教育の話と関係ないのですが、書いてみようと思います。なお「どちらが大切か」と書いていますが、結論めいたものはありません。あしからずご了承下さい。

 

タイトルにもあるように欅坂46の『黒い羊』にはまっていて毎日聞いています。ご存知でない方のために、歌詞を一部だけ載せます。

詩を読んだ時、私は「昭和かよ」と思いました。昭和の次の次の時代になり、平成の間に人権意識や個性の尊重が声高に言われていたにもかかわらず、結局未だに「自己主張」や「他者と違うこと」は許されないみたいです。

 

もちろんこれは秋元康さんがセンセーショナルな歌を作り注目されたかった思惑もあるかもしれませんが、明らかに時代錯誤であればこのような詞は書かないと思います。そういう現実がまだ残されているということです。実際、NGT48の山口真帆さんは自らの境遇を訴えるのに卒業公演でこの曲を選んだでしょうから。

 

ここで描かれている「黒い羊(厄介者)」は「協調性」を重んじる日本人の「和」を乱す人物であり、「白い羊」は日本人の「排他性」「長いものに巻かれろ」「事なかれ主義」的な負の側面を表しています。(MVのパフォーマンスを見れば違うような気もしますが、歌詞だけを読めばそう理解しました。ですからそれで話を進めます。)

 

「黒い羊」を認めるか認めないか、あるいはどこまで認めるか、「黒い羊」だらけになったらどうするんだ、とか様々な考えが生まれますが、そんなことを言っている時点で「日本人(白い羊)だ」ということになります。「黒い羊」は認めるものではなく「理解する」ものであり、また全員が違う色であり、あるいは全員が「黒い羊」だと認識することが正しい考え方だと思います。それが「個」の考え方です。

 

しかし日本人は誕生以来数千年、特に田を耕すようになってから協調性を重んじ、以来それを守り続けてきました。その結果、先程のような負の側面も生まれましたが、例えばサッカーのワールドカップの試合終了後、サポーターが観客席の後片付けをする行為や、大地震など大災害が起きても犯罪が起きない(ここの書き方は微妙になりますが)、財布を落としても中身がなくならずに返ってくるなど、世界から賞賛され、また誇りに持つべき側面もあるのです。それが日本人の「和」の心です。

 

皮肉かどうかわかりませんが、時代が「個」を目指そうとしている時に、新しい時代は「令和」になりました。そしてこの年号に異を唱える人はほとんど耳にしません。つまり日本人は今でも「和」が好きなんだと思います。

 

「和」と「個」は対極にある概念で、両者の良いところを取り入れることはなかなか難しい話だと思います。これから先、どういう方向に進むかわかりませんし、それは国全体で考えていくことですが、令和の次の時代になっても「黒い羊」は変わらず叫び続けている気がします。

 

次回からは「本当にいい学校」について考えていきます。

 

次のテーマに行く前にこの文章の反響を確認したいことと、次回の内容がかなり過激であるためしばらく更新を止めようと思います。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。