前回の続きです。

 

本来は彼らの可能性の芽を探し、潰さないことが国や大人や学校の責任であるのにそれがなされているようには到底思えません。1つ例を挙げると、勉強が苦手だった元塾生が中3の12月頃、「小学生の時、父に天体観測に連れて行ってもらって宇宙に興味を持つようになった。」と話してくれました。

 

私はすぐさま、大学で宇宙の勉強ができる学校を探し、彼に伝えました。元々勉強が苦手なので、彼が大学に行けるかどうかはわかりませんが、それが彼の1つの目標となり、高校受験や高校での勉強への意欲に影響を与えたのは間違いありません。果たして学校はこのことを知っていたでしょうか。

 

また、折り紙の話の子のように、子供の個性を「勉強しないといけないから」とか「そんなこと何の役にも立たない」と否定したり認めなかったりすることがその子を不幸にし、ひいては国力を損ねることにもなるのです。全員が全員勉強が得意になる必要などないのです。

 

もちろん、子供の個性は他を圧倒するほど秀でている必要はありません。自分の長所を認識できればそれだけで生きていく自信になります。「何もできない」と自信を無くさせてしまうのが一番よくありません。

 

そのために国ができることは何かというと、「中学校の勉強だけがすべてではない」ということを子どもに理解させ、個性を伸ばすための受け皿を多く用意することだと思います。そのため高校の総特色化には大賛成なのです。

 

理想論ではありますが、できれば、高校は学力評価だけを求めるのではなく、その子の長所を明確な評価対象になるようして頂きたいです。

 

ただし、何をするにしても「学ぶ」という姿勢は必要で、「勉強しなくていい」というわけではありません。また、生きていく上での基礎学力も必要で、すべての中学生に最低限度の学力は身につけてほしいです。したがって、全員に高度な学力を要求するのではなく、勉強が苦手な子を切り捨てない方策が国には必要です。

 

次回は英語教育重視の弊害について書く予定です。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。