今日から元号が新しくなりました。新しい時代がスタートします。

 

どうでもよい話を先に書くと、私は昭和の生まれですので3時代を生きることになります。不謹慎なので詳しく書きませんが、私は現在44歳ですので、もしかしたら5時代くらい生きられるのかな、とか考えたりします。

 

もう1つどうでもよい話ですが、私は個人的に「令和」の「令」の字に若干の違和感があります。「令」の字を見ていると何か物足りなさを感じるのです。「令」という字よりも、「令」を使った字をよく見るからです。それが「鈴」と「冷」です。「鈴」は別にいいのですが「冷」がイメージとしてあまりよくない。

 

だから、「物足りなく冷たい」イメージを「令」に感じ、オートメーション化やAI、SNSによる人間関係の希薄さや人の体温を感じにくくなり空疎感に満ちる、そういう時代になるのかなと考えたりもするのです。

 

 

私だけですよね、そんな変なこと考えるのは。

いずれ見慣れますしね。

せっかくのお祝いの日に失礼しました。

 

 

それはともかく、テレビを見ると平成時代を振り返る番組をよく目にします。多くの方が同じことを感じられるかと思うのですが、平成初期は昭和感が強く、おそらく若い人などは昔話を見ているような感覚なのではないでしょうか。平成時代は30年ほどしかありませんでしたが、その初期と末期は明らかに違う世界になっています。

 

その最たるものがIT技術の発達です。Windows95の発売を皮切りにしたコンピュータの普及とほぼ同時期に普及した携帯電話、アナログの世界からデジタルの世界への変化。これらは生活を便利にさせただけではなく人々の価値観をも変えていきました。

 

そのなかで私が問題に感じることの1つが、ネット上の個人情報に関してです。SNSで顔をスタンプで隠した写真をよく見ます。芸能人の子どもとかならわかりますが、顔を隠してまで発信する必要があるのかと思います。個人を見せずに個人を見せている。まるで架空の出来事を見ているかのような気がするのです。

 

ネットの世界は特別かもしれませんが、個人情報保護に過敏になりそれが普通の感覚になってしまうと、いずれテレビに映る一般人の顔や名前もすべて伏せられるようになるかもしれません。極論を言えばテレビの出演者も個人が特定できない状況にならないとも限らないのです。顔も名前も出さない人のニュースの解説を聞いて、その情報に信憑性を感じますか。顔を隠した状態でお笑いをしている人のネタで笑えますか。雑踏などの映像で一般人の顔がすべてニコちゃんマークになったら気持ち悪くないですか。もっと言えば人と人とが相対することもなくなりかねません。だって個人情報が流出しますから。それでも情報だけは流れるのです。一方で本当のバーチャルはより人間っぽくなっていきます。

 

そうなると何がリアルで何がバーチャルなのかわからなくなってしまいます。そこまでいくことはないでしょうし、なっても欲しくないですが、それに近づいていくような気はします。「個人を守りながらも個人を表に出せるようにする」、それが令和時代の1つの課題になるような気がします。

 

 

もう1つ大きく変わったものがあります。それは人権の意識です。被差別部落や在日外国人、障がい者、女性、子ども、高齢者、生活困窮者、シングルファミリー、労働者といった当然守られるべき人達への安心して暮らせる環境整備などは昭和の時と明らかに違います。さらにはLGBT、刑務所の被収容者、たばこを吸わない人等々への人権も配慮されるようになっています。これは平成の時代がいかに平和であったかという裏付けになるかと思います。

 

しかし一方で、犯罪が起きた時の加害者の人権(被害者のプライバシー権もそうですが)は常に問題になりますし、労働者にしても雇用主からすれば守りすぎじゃないのと思うこともあります。昔刑務官をしていた立場からすれば、被収容者に対しても、そこまで認めなくてもと思いますし、教師と生徒の関係に対しても生徒側に配慮しすぎじゃないのと思うこともあります。

 

つまり、人権意識が過剰になってきているように思えてなりません。権利を認めると誰かが犠牲を被ることが多く、何でもかんでも権利を認めると秩序が乱れ、社会を混乱に落とすことにもなりかねないのです。社会的弱者の人権を無視していい訳はありませんが、支配する側の権力も安定した社会には必要です。

 

また、ハラスメントも多様化し、なかには理解に苦しむものがあったり、辛抱する力が弱くなりハラスメントと感じるハードルが下がり、「(自分を)認めてくれないものは受け入れない」と考える若者が増えてきているように思えます。これは「個性の尊重」「多様な価値観を理解する」現在の教育の弊害だと思います。もちろんそうした教育が間違っているわけではありません。受け止め方の問題です。

 

上の立場の人間は旧態依然とするのではなく、その時代に即した思考になる必要はあります。しかし下の立場の人間も「自分(あるいは少数派)だけが良ければよい」と考えていれば社会は成り立たなくなることを知るべきです。つまりお互いの歩み寄りがより良い社会を作っていくと思います。支配する側もされる側も人としての権利や個性を認めて欲しい人もそれらを受け入れる人も「全ての人間ができる限りの満足ができる社会」こそ目指すべき社会であり、これも令和時代の課題の1つになるような気がします。

 

 

この2つの課題に共通していえるのは、「人間はどうあるべきか」です。機械化の進行は「人を必要としない社会」につながります。もしかすると「人間の存在意義」が令和時代の最も大きなテーマになるかもしれません。

 

 

昭和が平成になった時、私は中学生でした。今、中学生を見ていると彼らが新しい時代を生きていくんだな、自分と同じように時代の大きな変革を肌で感じていくのかな、と考えたりします。

 

平成はおおむね平和であったかと思います。しかし世界中でテロが多発し、大災害も多く起きました。令和が不幸なことが何1つ起きない時代になるとはさすがに考えません。しかし人々の意識と努力によって平成より良い時代にすることはできると思います。今までの時代の中で「令和が一番良かった」と言われる時代になって欲しいです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。