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塾長ブログ

私が教師なら① ~定期テストの問題はこうする~

estelkyoiku@gmail.com 2018年07月30日 

しばらく飛んでしまいましたが、3回前の内容が公立高校の新傾向問題が解けていないという話でしたので、それを受けての話です。

 

私は教育大学を卒業している割に教員免許を持っていないので学校の先生にはなれません。ただ10年以上前に教師になりたいと思っていた時もあり、その頃から自分が教師であったなら定期テストはこんな問題にするのにな、ということを考えていました。

 

 

例えば社会だと、授業の3分の1は教科書に載っていない話をします(もちろん教科書に載っていることを元にした内容ですが)。なお、雑談の内容は原則板書はせずメモさせます。そしてテストの70点分はそこも含めた論述形式で出します。論述問題はよくある説明問題なども出しますが、考える力があれば知識が無くても解ける問題も作ります。

 

数学なら70点分は文章題と計算過程やなぜそう言えるのかといった考え方を答えさせる問題にします。2次方程式の解の公式の出し方や三平方の定理の証明などは必ず出します(三平方の定理はなぜか3学期の内容になってしまったので出しても仕方が無い気もしますが)。とりあえず計算で点数を稼がせるような問題にはしません。もちろん問題の大半は授業で説明したことをそのまま出します。完全なオリジナルにすると解ける子はさすがに激減するでしょうから。

 

英語ならリスニング30点、英作文15点(新出の文法10点・自由英作5点)、会話の応答15点、純粋な読解問題(内容がわからないと答えられない問題)15点、新出の文法・語彙問題各10点、異文化理解に関する日本語の問題5点といったウエイトにします。英作文(10点の方)は20個くらい短文を予め示し、そのいくつかをそのまま出します。今とあまり変わらない気もしますが、文法・語彙問題を減らし、リスニングと読解問題を増やしているのが特徴です。ただこれはあくまでも新傾向対策としてです。国は英語でコミュニケーションができることに躍起になっていますが、日本人にとっては一部の人だけでよく、それよりも島国で閉鎖的な日本人にはまず価値観の違いを認め合う教育の方が先なのではないかと思います。したがって異文化理解教育をもっとするべきで、本当ならそのウエイトを上げたいところです。

 

国語なら作文10点、日本語の感性を文章で答えさせる問題(公立高校の大問2や3の問題)5点、授業で扱わない読み物をまとめさせる問題(説明文なら要約、物語ならあらすじ)10点、何かを説明させる問題(教科書の内容ではない)5点、教科書の読解問題(古典や詩・短歌・俳句などの知識問題や基本問題も含む)50点、漢字10点、文法(難しいのは意味が無いので基本的なことだけ)10点といったウエイトにします。解答時間が厳しくなる恐れもありますが、文章自体を短くすれば可能です。表現力を一番育てられるのが国語なのに、せめて作文くらいは毎回出してほしいなと思います。大中では聞き取りをしているようですが何の目的でしているんでしょうね。

 

理科は苦手なので思いつきません…。

 

ポイントは配点のウエイトを基本的な知識3割、簡単な思考力問題4割、やや難しい(あるいは高度な)思考力問題3割にすることです。簡単な思考力問題では授業で説明したことをそのまま出したり(考え方を覚えることも思考力強化になります)、知識が無くても少し考えれば(あるいは問題文を読み取れれば)正解できるような問題にします。そうすれば思考力問題で点数を稼げるようになり、平均点も60点くらいにはなるはずです。なお、全体的に思考力がついてきたと思えるようになれば本格的な思考力問題にウエイトを置けばよいと思います。

 

 

話を最初に戻しますが、私は定期テストとはこうあるべき、ということを新傾向うんぬんが起きる前から考えていました。上のような問題だと思考力や表現力は身につきます。内容もそうですが、生徒や塾はテストに敏感なのでそのような問題だとそれに応じた対応を取ります。授業は工夫されていると思いますが(たぶん)、テストで聞かなければ彼らのほとんどは本気で勉強しません。したがってもっとそのような問題を出すべきです。生徒からテストの問題を見せてもらいますが、今のテストでは無理です。良いなと思う問題もありますが、そうした問題が少なければ多くの生徒はそれを捨てて取りやすい問題を取りにいきます。それだといつまでたっても何も変わりません。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

クラブの大会はいつすべきか

estelkyoiku@gmail.com 2018年07月24日 

前回書き切れなかったことの続きです。

 

クラブの大会が一番盛り上がるのが今の時期ですが、ご承知のように気候的に適さない時期になりました。これは来年以降も起こりうる可能性が十分にあります。したがって大会をいつすべきかを早急に考える必要があります。

 

ただ、そもそもの議論として大会を夏休みに行うこと自体がおかしいとは思います。なぜならば、夏休みは暑くて勉強ができないから休みにしているのに勉強より過酷な運動をさせているからです(これは夏休みに運動部を通常練習させることも同じです)。クラブ活動ができるのならそもそも夏休みなどいらないということになります。

 

しかしそこを議論しても仕方がないので本来の話に戻すと、すごく簡単な答えが出せます。

 

1学期の期末テストはふつう6月末に行います。7月の第1週はテストを返却しないといけないので学校を開ける必要がありますが、2週目は開ける必要がありません。その週を休みにして大会を集中させればよいのです。生徒にとってもテストが終わって1週間空きがありますから調整ができますし、まだそこまで暑くはありません。そして3週目は普通に授業をし、4週目に三者懇談と終業式をすれば授業時間も減ることがありません。大会の週に終わらなければ3週目4週目の土日の午前中と夕方にすればだいたいの地区予選は終われるはずです。そして地区大会は8月のお盆明けにし、全国大会は8月末から9月の土日祝日でいいと思います。地区予選を勝ち上がった学校は一番暑い時期に練習漬けにさせることは変わらないでしょうが。

 

しかしこのスケジュールに何も問題はないと思います。問題があるという方は是非教えていただきたいです。ちなみに私は生徒の人命を第一に考えています。これでも犠牲になる子が減るだけで根本的な解決にはなりませんが。なお、運営上の都合で問題だという方は大人の知恵でクリアしてほしいです。

 

 

ただそんな小手先のことよりも、もっと確実に暑くない時期に、しかも余裕をもって大会をできる方法があります。それは「秋入学」にすることです。9月に入学し、7月に卒業や受験をするようにすれば、大会は冬休みにできます。今度は寒いですが夏の暑いよりはましです。気候的には春休みの方がいいのですが、受験のことを考えると冬休みの方がいいですし、そもそも春休みの必要性がないので、春休みを無くし、冬休みを1ヶ月くらいにすれば余裕をもった大会をすることができます。また受験が夏になると、大雪やインフルエンザで受験できないといった問題も起きません。夏のクラブもかわいそうだと思いますが、冬の受験も同じくらいかわいそうです。これが逆だとそれほど問題を感じません。

 

秋入学にするには全国一斉にしないといけないので一見難しそうですが、どこかの年で、小中高大の全ての学校で本来の1学期を前年からの続きで4学期にし(2学期制の場合は後期を延ばす)、この間はこれまでの学習の復習に充てればいいだけの話です。就職活動が…という声もありますが、企業や公務員が9月採用にすれば済む話です。これも色々な立場の人がいるのでどういった不都合があるのかわかりませんが、できない話ではないと思います。秋入学は数年前、東京大学でそれをにおわせる話があったような記憶があるのですが、最近は全く聞かなくなりました。国際基準で考えても秋入学の方がいいのは明らかなのに、全く話が進まなくなったのは世間の関心がそれほどではないからでしょうか。私も子供を炎天下で試合や練習をさせたくないという思いだけですし。

 

ただ(今回はやたら「ただ」が多いですが…)、「桜」にこだわって春入学の方がいいと考えているのなら、もうそれは改める時期なのかもしれません。私も昭和の生まれですから桜に対する思い入れは人並みにあります。しかし、「入学式=桜」のイメージは多くの人にありますが、入学式の日に日本国中桜で満たされることはなく一部の地域に限られて起きる現象です。沖縄は1月に咲きますし、北海道は5月に咲くところもあります。東北も入学シーズンに桜は咲きません。私も覚えていないのですが、今年の入学式の時(4/12)に桜は咲いていましたか。ちなみに奈良県の今年の満開日は3/29だったそうです。

また、四季の移ろいと子供の成長を重ねられるという点で春入学がふさわしいという意見もありますが、春や秋は昔よりかなり短くなっていますし、冬が終われば春が来るといった感性さえ育てば、それは入学時や新学期でなくてもいいような気はします。何よりクラブと受験があってはならない夏と冬にあることを直す方が子供のためだと思います。

 

 

前回の話と合わせて深夜に4時間ぶっ通しで書きました。本当に思います。誰かに読んで頂きたいです。反応がないと虚しいです。いや、反応はなくてもいいです。誰かに読まれていることを信じてこれからも書き続けていきます。

気象庁は直ちに「高温警報」を発令せよ

estelkyoiku@gmail.com 2018年07月24日 

最近、公私が忙しいことに加え誰も読んでいないのではないかという思いから、筆が進みませんでしたが、先週からどうしても書きたいことがあるので一気に書きます。

 

先週から異常な暑さが続いています。そして昨日気象庁が異例の会見をしました。「少なくとも8月上旬まで同じような暑さが続く」「命に危険を及ぼすレベルで、災害と認識している」「熱中症予防に努めてほしい」と呼び掛けたそうです。

 

ポイントはもちろん「災害と認識している」のところです。私が昨日確認した毎日新聞のネットニュースでは、この6日間で熱中症による死者が93人になったそうです。1日に15人以上の方が6日連続で亡くなっている計算になります。明らかに異常事態ですし、気象庁が「災害と認識」するのは当然の判断でしょう。

 

しかし、気象庁は「熱中症に気をつけろ」と注意喚起しているだけです。「命に危険を及ぼすレベル」で「災害と認識」しているのならなぜ「高温警報」を発令しないのでしょうか。

 

もちろん「高温警報」という警報はありません。しかしこれくらいすぐに作れるはずです。すぐに作って直ちに発令をしてほしいのです。なぜかというと警報が出れば学校が休みになるからです(ちなみに大中は警報が出たときはもちろんですが、「災害」が発生すれば自宅待機とHP上に書いてあります)。

 

今は夏休みになりましたが、運動部の子は毎日のようにクラブへ行き、また大会の時期でもあるので試合に行きます。子供は限界を知らないので倒れるまで続けます。特にチームプレイのスポーツの場合、自分だけ抜けるわけにはいかないと考えたりもします。本来なら大人が危険を判断し、中止なりの措置を執るべきですが、どうもそんな様子が見えない。私も実際の現場を見ていないのでなんとも言えないのですが、本当に十分な安全のもとに活動をしているのでしょうか。それともこの暑さの中で運動をさせていること自体が異常だと考えている私がおかしいのでしょうか。誰もが知っていることですが、疲労は蓄積します。1日や2日の猛暑なら別に構いませんが8月上旬まで続くとなると、今は大丈夫でもこれから倒れる子が続出するのではないかと思います。

 

そこで、冒頭の「警報を出してほしい」という話になります。警報が出れば強制的に練習も試合もできなくなります。先日の豪雨の中クラブをさせますか、その前に起きた地震の中でクラブをさせますか。今回の暑さはそれらに匹敵するものだと思います。

 

おそらく、「大会があるので休むわけにはいかない」という考えが支配的なのでしょう。しかし学校のクラブは命を懸けてまでするものではないと思います。仮に部員の誰かが熱中症で亡くなったとして、それでも試合に勝てれば嬉しいのでしょうか。学校のクラブが教育の一環であるのなら、「死の淵に立たされたところでも生き残る力」を養わせているのでしょうか。まるで考えが戦前です。日頃「命の教育」をしている割に死者が出てもおかしくないことを学校はしているのです。また、「自分達が休んでいる間によそのチームは練習するので休むわけにはいかない」という考えであれば、だからこそ「警報を出し、県全体を休みにすれば条件は同じになる」と言いたいのです。

 

「試合は延期できない」のであればくじ引きにすればいいのです。そんな年があってもいいと思います。異常事態なんです。全ての生徒に平等に思い出を作る必要はありません。高校野球もオリンピックも中止や不参加になった年もありました。戦争のような大事でなくとも不慮の出来事で中止になったり参加できなかったりした例はいくらでもあります。またスポーツに限らず今年の3年生は、何回も書いていますが、高校受験で最も不遇な目を受ける学年になります。私も高校3年生の時は1992年という最も大学受験が異常であった年でした。生まれ運というのは残念ながら存在します。もちろん今年の中3の子が特別不運なわけではなく、この先いくらでも2003年生まれで良かったと思えることが起きる可能性はあります。

 

大人達は何を思ってこの異常気象の中、スポーツをさせているのかわかりません。私が何を言ったところで何も変わることはないので、ただひたすら無事な姿で生徒が塾に来てくれることだけを願っています。

 

 

余談ですが、今月20日、スポーツ庁が教育委員会に対し、「学校でのクラブ活動について、高温注意情報が出たら屋外での活動を原則行わせない」ように指導したそうですが、実際のところはどうなっているんでしょうね。

公立高校の入試改革④ ~滋賀県の現状~

estelkyoiku@gmail.com 2018年07月16日 

前回の予告と違う内容になります。なぜなら先日滋賀県教育委員会が公表している去年の学力検査問題(入試問題)の平均点と各問の正答率を見たからです。

 

以前、「公立高校の入試改革①」で書いたように、昔の奈良県と滋賀県は出題傾向がよく似ていました。そして4年前(2015年3月)から滋賀県がいわゆる新傾向問題を本格的に出題したので、今年(2019年3月)から変わる奈良県もその問題が参考になるのではと考えています。

 

「4年前から」ということは新しい出題がわかってから中学を3年間過ごした子が去年(2018年3月)受けたことになります。ですので、去年の子は「思考力」「判断力」「表現力」といった問題にある程度対応ができていないとおかしいということになります。

 

以下の、上のリンク先が滋賀県教育委員会が公表している平成30年度の問題があるページ、下のリンク先が同じく結果に関する考察で、下の方に平均点と正答率が載っています。

 

http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/nyushi/koukou/ma05/index.html

http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/nyushi/files/h30nyuushimatome.pdf

 

まず数学を見ると、典型的な新傾向問題が大問2と3ですが、それぞれの正答率は順に14.3%・17.8%・45.9%・6.8%・54.4%・2.0%・12.1%で、平均は21.9%。

これらの問題の平均得点が42点中7.98点(得点率19.0%)なのに対し、全体の平均点は40.6点。

 

次に、国語の文章記述の正答率はそれぞれ31.9%・18.6%・23.5%・8.8%、作文が20.1%で、平均は20.6%。

これらの問題の平均得点が49点中10.12点(得点率20.7%)なのに対し、全体の平均点は58.6点。

 

社会の文章記述は4.1%・11.5%・4.1%・6.2%・6.4%・29.2%・13.8%・10.7%・43.0%・27.0%で、平均は15.6%。

これらの問題の平均得点が59点中10.0点(得点率16.9%)なのに対し、全体の平均点は46.2点。

 

理科の文章記述は21.9%・3.8%・57.5%・13.8%・2.6%・26.7%・39.6%・71.7%で、平均は29.7%。

これらの問題の平均得点が47点中10.88点(得点率23.1%)なのに対し、全体の平均点は41.7点。

 

英語はリスニングの英問英答が22.3%・17.6%、会話文の応答英作9.6%・29.8%、スピーチの穴埋め英作29.4%、自由英作9.7%で、平均は19.7%です。

これらの問題の平均得点が33点中5.27点(得点率16.0%)なのに対し、全体の平均点は42.9点。

 

また他の正答率を見ても明らかですが、受験生は記号や短答問題で点数を稼いでいます。つまり滋賀県では3年かけても「思考力」や「表現力」は育っておらず、結局以前とほとんど変わっていないということがわかります。そして、これも以前のブログに書きましたが、中上位校は新傾向問題がどこまで解けるかが合否を決め、下位校はそもそも解けないので点数がとんでもなく低くなり、結果内申で決まるということが明らかになりました。

 

別の見方をすれば、「思考力」や「表現力」を問う問題に難しい問題が多く、その他の問題に簡単な問題が多いという特徴もあります。これは「思考力」や「表現力」に関しては高度な能力を求めていて、学力の高い一部の生徒を対象にしており、学力の低い生徒に対しては他の簡単な問題で点数を取らせているようにも見えます。もっと言えば多くの生徒に対して「できなくていいよ。」と言っているようにも思えます。もし教育委員会が「3年かけて育ったのであればこれくらいはできるだろう」と思って出したのであれば、この結果は明らかに教育の失敗であり、一部の高学力の生徒用に出したのであれば、国は学力の低い子を切り捨てているということになります。これからの時代に「思考力」や「表現力」が必要だと言っているのに、そうした問題が解けなくてもいい結果になっているからです。ただ個人的にはそこまで難しくはない問題も多くあったと思えるので、もう少し正答率が高くてもよかったのではないかとも思います。やはり3年間では「思考力」や「表現力」は育てられないということでしょうか。

 

おそらく奈良県も同様のことが起こるでしょう。1年目であればなおさらです。そしてそれに対する対策も大事なのですが、それより問題なのは滋賀県の中学校は何をしてきたのかということです。いや、何もできなかったんだろうなということです。

 

何度も書いていますが、思考力や表現力は知識の上に成り立つものであるのに、どの教科も教える内容が多すぎるので、そこまで手が回らないのが現状だと思います。だからこれは学校に責任があるのではなく、現状をわかっていない出題者である教育委員会とそもそものカリキュラムを作っている文部科学省に原因があるとしか思えません。もっと言えば、教育委員会は文科省の言われた通りにしているだけでしょうから、文科省が各教科のカリキュラムを見直さない限り、いくら「生徒の個性を…」と訴えたところでいつまでたっても何も変わることはありません。加えて英語がオールイングリッシュになり、道徳が必修教科になり、プログラミングもいずれ必修になるでしょう。こうした流れは生徒と学校の負担だけを重たくさせる教育の暗黒時代の始まりのような気もします。

 

 

次回は私が教師ならこんなテストにする、といった内容です。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

塾長ってこんな人② ~オリジナルの格言が大好き~

estelkyoiku@gmail.com 2018年07月13日 

この仕事をしていると、「どうやって生徒をやる気にさせようか」とよく考えます。入浴時や就寝時になると、ほぼ毎日生徒を諭す場面が浮かびます(そのため全然眠れなくなり、結局布団で寝る日はほとんどありません)。で、そんなことばかり考えていると、ある時にふと格言めいた言葉が浮かんだりします。その中で特にお気に入りの2つが、

 

大事なのは夢を見続けること。

そしてその夢を実現するための努力をすること。

「したい」じゃなくて「する」という気持ちを持つこと。

 

現在は過去に選択したことの結果。

未来は現在選択したことの結果。

今、何をしたかによって将来の自分は変わります。

 

です。いかがでしょうか。

他にも

 

①絶対クリアしたい目標を決める。次にそれをクリアするための目標を決める。全てはそこから始まる。

 

②「将来どんなことがしたいのか。」「どんな人間になりたいのか。」それを考えるだけで人生に大きな差が生まれる。

 

③人は自分の願いを叶えるために生きている。「誰かのため」っていうのも自分の願い。

 

④やってもやらなくてもいい。それをできるか試されているのが勉強。

 

⑤休むことも大切。ただ、休んでいる時に他人は前へ進んでいるということを次再開したときに意識しよう。

 

⑥「周囲の評価」とか「何をした」とか「結果」とかなんて関係ない。大事なのはどれだけ「自分を満足させられた」かってことなんだ。

 

⑦遊び・勉強・スポーツ・喜び・怒り・勤勉・怠惰…その時していた全てが将来の自分になるんだよ。

 

⑧苦しい時があるから楽しい時があるんだ。つらい時があるから笑える時があるんだ。生きてるってそういうことなんだ。

 

⑨「自分は何のために生まれてきたのか。」「どうすれば自分の一生を終えるときに満足できるのか。」その答えが出るまであきらめてはいけない。

 

⑩人間は死ぬまで成長することができる。成長するかしないかは自分次第。「今日の自分は昨日の自分じゃない」と思えるようになろう。

 

なども気に入ってます。

 

これらは教室に貼っているのですが、教室に来ないとわからないので紹介してみました。

 

 

塾に関する話はだいたい終わりましたので、次回からは日頃塾で話していることか勉強の方法を書こうかと思います。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

塾長ってこんな人① ~塾長の経歴~

estelkyoiku@gmail.com 2018年07月12日 

塾の紹介をするうえでどうしても避けられないのが、私がどんな人物なのかということです。大手塾では必要ありませんが、小さな個人塾は塾長の個性がそのままその塾のカラーになります。特に受験の時期となると、大部分の時間を塾長と過ごすことになり、高校に合格できるかどうかは塾長の指導にかなり左右されることになります。ですので、大切なお子様を預けるにあたり、予め塾長の素性がわかれば塾選びの大きな判断材料にはなるかと思われます。ところが、この塾のHPに私のプロフィールは一切書かれていません。取り敢えずわかることは恐ろしく似ているイラストと、そのイラストと合わないブログの内容くらいです。

 

なぜ書かないかと申しますと、書くのにとても勇気がいるからです。これを公開することによってどの程度の支持が得られるのかが不安で仕方無く、また恐ろしく長くなりそうだとも思ったからです。

 

 

まず略歴ですが、1974年に大阪で生まれ、小中学校は大阪府泉南市の公立学校、その後桃山学院から奈良教育大学へ進学しました。正直、すごい学歴ではありません。中学の時の定期テストは420~430位でしたので、そこそこできる学力レベルであったとは言えます。ちなみにクラブは中学が剣道部、高校は帰宅部、大学は合気道部です。大学を卒業してからも剣道と合気道は30歳くらいまで続けていました。

 

この塾は37歳の時に開業し、今月で丁度6年になります。ふつう塾を始める人は何年か塾で働いていたとか、学校の先生をしていたとかいう方が多いのでしょうが、私は大学生の時アルバイトで1年間、中学生全学年に国語を教えただけです。開業までは全く関係の無い仕事を色々していました。

 

ではなぜ、塾を始めたのかと申しますと、一言で言えば自分の人生が行き詰まったからです。このまま働いていても芽が伸びず、自分の人生を満足させることができない。いつまでも結婚できないので、高校生の時からの夢であった自分の子供を育てることができない。このままだと生きていることに価値を感じなくなる。いったい自分は何をすれば生きている価値を感じられるのか。36歳の時にそう思いました。

 

自分がこれまでにしてきたこと。その1つは大学へ行くのに3年浪人したのですが、その間予備校の授業や模試を大量に受け、受験参考書や受験のノウハウ本を異常なくらいに読んだこと。大学を受験するのに私ほど「受験の知識」を仕入れたり、本番の入試や模試などを50回以上受けたりした人はあまりいないと思います。私がなかなか合格できなかったのは勉強をしなかったからで、「合格の仕方」は知っていました。

 

また、他にしてきたことは、30歳くらいの頃に資格ブームが起こり、一時期税理士を目指していました。そこでも税理士の予備校に通い勉強していたのですが、2~3年経ち、自分は勉強よりもむしろ講師の教え方に注目していることに気づきました。また、大学受験の時もそうでしたが、予備校はどのようにカリキュラム(年間の授業内容や毎週の時間割)を組んでいるのか、どういう風に経営しているのか、といったところに強い関心を持っていることにも気づきました。

 

それらを踏まえ、「自分は塾をするしかない」と決断したのです。

 

実際に塾を始めてみて、なかなか成績が上がらないもどかしさも感じたりしましたが、子供達が成長していく姿を見ることがこんなにも嬉しいものなのか、ということを強く感じました。うまくいかなかったこともありましたが、成功例も多く作りました。1人でも多くの子を教えたい。成長の手助けをしたい。そして自分のような失敗した人生とならず、生きていることに価値を感じられる人生を送れるようになってもらいたい。今はそんな気持ちで毎日子供たちと接しています。

 

 

 

私がこれまでの人生で培ってきたものが現在の仕事に活きていると実感できるのは進路指導です。この子はどこの高校に合格できるのか、その目には自信があります。これまで、学校の先生が「無理だ」と仰っていても、私が「合格できる」と言って受けさせた高校は全て合格しました。

 

 

そんな塾長がしている塾でありますが、もし共感頂けましたら望外の喜びですので、ぜひお越し頂けることをお待ちしております。

 

次回も私の話の続きです。

最後までご覧頂きありがとうございました。

エステルってこんなとこ③ ~能動的な学習姿勢~

estelkyoiku@gmail.com 2018年07月5日 

私のもう1つのモットーは「能動的な学習姿勢」です。最近はアクティブ・ラーニングとも呼ばれたりしています。

 

中学生に限らず、我々が勉強をする理由は1つしかありません。それは「自分自身を成長させるため」です。教養のため、家族を養うため、どんな理由であっても結局この言葉にたどり着きます。したがって、自分自身を成長させることが目的であるなら、その学習姿勢は能動が良いか受動が良いかは明らかです。

 

スポーツで考えても、ルールやテクニックを理解しただけではプレーできず、実際に体を動かすことで初めてそれが自分のものとなります。勉強も同じで、話を聞いて理解しただけで終わるのでなく、その後に問題を解くことによって初めてテストで点数が取れる力になります(もちろん勉強の場合は英単語のように「単純に覚える」という作業も必要になりますが)。

 

で、これは一般論で誰もがわかっていることなのですが(それすらわかっていない中学生も結構見かけますが)、「能動的な学習」の第一歩は「初めて知ることを人から教わらずに自分から理解する姿勢」だと考えます。自分の知らないことを自力で知ろうとする力は生きていく上で必ず役に立ちます。

 

人から教わると確かに早く理解できるのですが、実際のところほとんど頭を使っていません。教え方が上手ければ頭をあまり使わなくても理解できるからです。だからせっかく理解してもすぐに忘れますし、使いこなすこともあまりできません(定着させる行為をすぐに行う、あるいはよほど印象に残る教え方や、頭を使わせる教え方をすれば別です)。

 

他方、説明書きなどを読んで必死に理解しようと努めれば頭に残りますし、自分なりに解釈をするので応用が利くようになります。ですので、エステルでは説明書きの丁寧な教材をまず読んでもらうことからスタートします。もちろん読んで理解できない時もありますので、そのときは講師に質問をするというスタイルを取っています。

 

理想論を言えば、毎回のテスト範囲のだいたいはわかりますので、それを予め示し、何をすればよいのかを自分で組立てる主体的な学習ができるようになれればなと思います(そこまでの学力の子は今はいませんが)。全てをお膳立てし、何をするのかも全て指示し、それに従わせるやり方の方が教える側としては楽で、かつ時間もかからないのですが、そうした「受け身の学習」は決してその子のためになりません。「受け身の学習」は「指示待ち人間」に育つ可能性が高くなり、それはこれからの世の中ではあまり求められないと考えられるからです。

 

ただ、本当に今求められているアクティブ・ラーニングとは「問題探求(あるいは解決)学習」や「発表」といったもので、それこそが入試改革で行われる新傾向問題に直結するところになります。しかしその能力を高めたところで、結局膨大な学習内容があることに変わりはありません。だとすれば、結局効率よく勉強のできる子(これまで着実に学力を積んできた子や要領のよい子)の方がそういった学習にも余裕を持って取り組める分総合的に有利、つまりテストの点数による序列は今までと何も変わらないだろうなとは思います。

 

 

ところで、県教育委員会は先日公立高校の選抜概要を発表しました。予想通り特色選抜の検査時間は各30分と変わらず、一般選抜(普通科)の学力検査(筆記試験)の配点と調査書(内申)の点数も橿原高校以外は変わらず、ほぼ全ての高校が250点満点(各教科50点満点)の内申135点でした。

 

以前も書きましたが、一般選抜(普通科)は「新傾向問題が簡単であればそれが解けるかどうか、問題が難しければ内申勝負」になることは間違いなくなりました(詳しくは「公立高校の入試改革③」をご覧下さい)。生駒で塾をしている身からすれば、あくまで超個人的な希望ですが、新傾向の問題は簡単であってほしいと思います。

 

次回は私自身のことを書く予定です。ただ、書くのにかなり時間がかかる気がしますので、しばらく更新されないかもしれません。また、速報性のあるニュースがあれば、そちらを優先します。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

エステルってこんなとこ② ~縛りすぎず緩めすぎない指導~

estelkyoiku@gmail.com 2018年07月2日 

塾を運営する上での私のモットーの1つは「縛りすぎず緩めすぎない指導」です。

生徒が私の塾を評価するにあたり、圧倒的に多い声は「居心地がいい」です。「家にいるみたい」という生徒もいます。また、「家だと勉強できないがここでなら勉強できる」という声や「よその塾のような窮屈感がない」という声もよくあります。

窮屈感に関しては、3年生は1つの長机を1人で使用でき、かつ前後の間隔が大きいからだと思います。今は生徒の数が少ないので、1・2年生もそのような状態です(ただし1・2年生は人数が増えれば2人で使用してもらうことになります)。とにかく詰められるだけ詰めるというのが一般的な塾だと思いますが、できるだけ不要なストレスは与えないように意識しています。

他に、居心地が良い理由としては、「先生が親しみやすい存在」ということもあります。よその塾のことはわかりませんが、講師の先生には積極的に生徒に話しかけるように、厳しくしすぎないように指導しています。また、学習時間はもちろん、休憩時間も講師は生徒と同じ部屋にいるので雑談の機会も多くなり、結果、多くの生徒が講師陣を慕い、彼らの言うことに従っています。以前、能力はすごく高かったのですが、とても厳しい講師の方がいました。しかしほとんどの生徒はついて行きませんでした。以来、厳しいことを言うのは自分だけでよいと思うようになりました。

また、私は細かいことにあまりこだわりません。間違った勉強をしている生徒の指導はもちろんしますが、「勉強する意識」と「他人に迷惑をかけない」「挨拶をする」ことさえ守ってもらえれば、基本注意もしません。したがって、これもよその塾ではどうかわかりませんが、学習中に飲み物を飲んでも構いませんし、少しくらいの私語であれば特に何も言いません。むしろ私自らが笑いを誘いにいったりもします。統計の取りようがないですが、この塾は全国レベルでも笑いの多い塾だと思います。

さらに、お茶は常時用意され、お菓子やアイスが出る時もあります。特に去年の3年生は自らお菓子を持ってきてみんなに振る舞う子がいたので、こちらも負けじと、受験直前はお菓子が切れることがなく、飲み物もドリンクバー並みに用意していました。

 

ここまで書くと、相当緩い塾のような印象を持たれるかもしれませんが、もちろん常に緩めているわけではありません。厳しい言葉を投げかけたり、厳しい現実をありのままに語ったりして、緊張感や危機感を持たせることも欠かしてはいません。特に塾に来たての生徒には、学習に関して誤った考えを持っていたり、態度が良くなかったりする場合もあり、それを改めるのに相当厳しいことを言うときもあります。そのためすぐに辞める生徒もいることはいます。しかしそれを乗り越え、私の考えを理解してくれれば、ここ以上に良い塾はないと感じてもらえるようになります。

つまり、彼らは勉強しに来ているわけですから、無理に締め付けなくても「この塾は良い塾」と思ってもらえれば自然に勉強してくれるということです。事実、彼らは決してくだけた状態で勉強したりはせず、姿勢良く、ひたすら集中して長時間目の前の課題に取り組んだりしています。

 

そうした居心地の良さと適度な厳しさが、生徒の自主的な学習意欲を高め、結果多くの生徒を志望校に合格させている要因の1つだと思っています。

苦痛を与え続け、合格だけを目標にし、それに耐えられない子は切っていき、結果残った子だけで偏差値の高い高校に多く合格させるという塾や、武力的な恐怖で生徒を押さえつけている塾もあるそうで(生駒の塾とは言ってませんよ)、よその塾の指導方針などどうでもよいのですが、中学生への教育としていかがなものかとも思います。

 

次回は、あるべき学習の姿についてです。なお、先週までの話は一気に掲載したかったので毎日更新していましたが、今後は週2~3回の更新とさせて頂きます。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

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