まずは前々回のもう1つの仮想の疑問である「少子化による生徒数減少の対策は、高校を減らすのではなく各高校の募集人員を大幅に減らせばよいのではないか」に対する個人的見解です。今日のメインテーマは後半です。

 

その答えは「社会で生きていく上で、大人数のいる集団に身を置く経験が必要であるから」です。社会に出てから、望まずに大集団に属することが時として起こりえます。そのような時に小さなコミュニティーしか知らずに育った場合、対応ができなくなる可能性があります。そもそも学校とは集団生活を学ぶ場ですから、小・中・高とステージが上がるにつれ人数が増えることが望ましいと考えます。また、人数が多いということはそれだけ多くの人間を知ることができ、自身の多様性の成長にもつながります。

また、県の立場からすれば、高校を減らせばそれだけ人件費等の予算が削減できるので、それを他の有意義なことに回せるという行政的事情も考慮する必要があります。浮いた予算が残された高校の充実のために使われたら、むしろその方が子供にとっても国にとっても幸せなことだと思います。

 

前回の話と合わせての結論ですが、「学校を減らして倍率を上げることが最も妥当な選択である」と考えます。子供の成長は国の成長にもつながります。母校がなくなる方も個人としてだけではなく、国家としての視点も合わせて考えてみられてはいかがでしょうか。

 

 

ただ、教育委員会が昨年平城高校を受験した人に廃校することを何も伝えていなかったことは許し難いことです。「無くなることが分かっていたら受けなかった」という生徒も多かったと思います。本来は方針を明らかにして2年後に実施するべきなのです。そうすれば、その前年に入学した人(無くなることを知らずに入学した人)が3年生になった時に1年生がいないという悲劇は起きなくなります(無くなることを知って入学する人は仕方ありませんが)。たった1年遅らせるだけで解決する話なのに、教育委員会は本当に子どものことを考えているのか、と思わざるを得ません。

 

また一方で、今年の3年生は入試制度も大幅に変わります。学校で思考力や表現力を教わっていない(教えているのかもしれませんが、少なくともうちの塾生を見ている限りそのような力は身についていません)今の3年生に新傾向の問題を解かせること自体に無理があります。彼らはその根底となる読解力すら十分に育っていません。問題と答えを覚えることがテスト勉強と考えて(事実、読解力を問う問題はできなくてもそれなりの点数にはなる)、テスト前はひたすら暗記と計算パターンの練習を繰り返す勉強をして育ってきた彼らに、育てていない能力を問おうとしているのです。しかも教育委員会はどのような問題を出すのか公表していません。どうやって対策を立てろというのでしょうか。そのうえ高校再編の過渡期で先が見えないという苦しみと合わせた二重苦(本来の入試の苦しみも足せば三重苦)を与え、子供たちは大人の都合に振り回されているようにしか見えません。「自分の行きたかった高校が無くなる」「学校で教わったことだけでは問題が解けず合格できなかった」そうした子が大量に現れる、おそらく過去数十年の中で最も気の毒な学年になるかもしれません。

 

何度も言いますが、教育委員会の方針は賛成です。ただ、本当に子供のことを考えているのか、誰のための教育委員会なのか、とは思います。もちろんその根底にあるのは国家の教育プログラムですので、高校を減らす話は別として、入試制度改革や特色化の流れは、国が大学を変えているからそうなっただけで、つまりは国の政策が順番を誤っているのです。ゆとり教育の時もそうでしたが、大きな改革をするときは小学1年生から変えていくべきで、学年の途中から教育方針を変えると子供と現場の先生方が混乱するだけなのです。

 

そしてもう1つ大きな問題は、今回の再編は平城高校に加え、最も人数の多い中間層が受験する登美ヶ丘高校や西の京高校なども対象になっており、しかも特色の強い学校に変更しようとしていることです。次回は特色高校の意義について書きたいと思います。

 

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