前回、「現在の公立高校は正常な競争が行われているとはいえないので、公立高校の倍率を上げるためにも統廃合はやむを得ない」と書きました。今回はその「正常な競争」についての個人的見解です。

 

高校の入試制度は、「人は生きていくために競争という現実がある」ということを知る成長過程の中で必要な機会であると私は思っています。また、「世の中は思い通りには行かない」ということや、「望みを叶えるためにはやりたくないこともやらないといけない」ということを知ったりもできます。年齢的にも15歳という丁度いい時分です。これらはクラブなどでも身につけられるではないか、と思われる方もおられるかもしれませんが、大会の勝ち負けや、スタメンかベンチかよりも、どこの高校に行ったのか、どういった手段でその高校に行ったのか、ということの方が、その子の人生に与える影響は遙かに大きいと思います。

 

なぜなら、前者は通う高校によって出会う人が異なるからです。誰と出会ったかが特に成長過程の間は重要だと私は考えます。人は常に他人の影響を受けています。その人を作るのは周りの人です。友人や先生、先輩後輩、あるいは自分と合わない人や自分の常識に収まりきらない人、どんな人と出会うかは行く高校によって全く変わります。彼氏彼女も行く高校によってできたりできなかったりもするでしょう。中学校は選べませんが高校は選べます。もちろん誰と出会うかは入学するまでわかりません。しかし高校選びを真剣に考えれば自ずと期待値は上がります。すると、自分の通う高校が好きになり、結果良い出会いは多くなります。

また、単純に進路先の傾向が高校によって大きく異なることもあります。

 

後者ですが、私は割と楽をして高校に行きました。そしてその高校が嫌いでした。結果、そこそこの進学校でしたが、大学へ行くのに何年も浪人をしました。私はこれまでの人生の中で3回大きな後悔(過ち)をしています。その1つが高校の選択です。高校の選択や高校入試を安易に考えず、もっと真剣に取り組んでいれば、仮に通う高校が同じになったとしても人生は明らかに変わっていただろうと思っています。

 

人間は真剣に必死に物事に取り組む人ほど成長します。この点はクラブも共通しています。ただ、勉強を好きでやっている子は多くありません。そこがクラブと決定的に違うところです。「やらなくていいならやらないけど、やらないといけないからやっていく。そしてそれをする内に楽しい部分を見つけていく」。ここが同じ努力をしていてもクラブ以上に価値があるところだと考えます。野球が好きでサッカーが嫌いな子を野球部があるのに無理矢理サッカー部に入れてその子の人生を変えさせるほどの価値を果たして出せるでしょうか。

 

答えまで長くなりましたが、この「自分の成長のためのやりたくもない努力」をするのに必要なのが「正常な競争」です。ほぼ誰もが入れるような入試でそこまで真剣に勉強するでしょうか。「落ちるかもしれない」という恐怖心がより努力をかき立て、必死に取り組ませ、人を成長させるのです。

 

ちなみに私は1974年生まれで、今年44歳になります。いわゆる団塊ジュニアの最後の年の生まれです。さすがに私が高校を受験したときの倍率は覚えていませんが、今よりは遙かに高かったと思います。もちろんそこまでの状況に戻すべきではありませんが、今の倍率よりは高くなった方が良いと思います。具体的には40人中7人~10人くらいが不合格となる1.2倍~1.3倍くらいが公立一般入試では適正であると思います。

 

前回、もう1つ仮想の疑問を立てていましたので、次回はその回答をしたいと思います。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。